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ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』を読む

著者は「意識が言語の後に生まれた」と主張しています。

意識とは何でしょうか。私としては、ビッグバンが意識の起源だと思っています。ビッグバンと直結する意識を身にまとう感じです。今のところは。

彼の重要な仮説は、意識に先立って、幻聴に基づいたまったく別の精神構造があったというものです。彼の「意識」は「文字に基づく言語意識」のことでしたが、文字が発明される前の人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていたようです。

彼はその心を〈二分心(Bicameral Mind)〉と呼んでいます。

また、彼自身は「知識とは何か」と考えあぐねて……

考えがまとまらないことに嫌気がさして、長椅子に寝転んだ。突然、まったくの静寂の中で、きっぱりとした大きな声が、私の右上の方から明確に聞こえてきた。その声は言った。「認識の中に、認識我を含めよ!」それを聞いて私は思わず立ち上がり、滑稽にも「何ですって?」と大声を張り上げ、声の主を捜した。――p.112

―― 第一部「人間の心」 第4章「二分心」

……霊的な体験をするのだが、それを単なる幻聴としています。

さて、この書物は占いにも触れています。〈二分心〉が崩壊して「神の声」が聞こえなくなると、「神の声」を書きとめる文字が発達し、「神の声」を聞くための占いも発達しているのです。その辺りの記述を救っておきます。

ここまでのところで、私たちは〈二分心〉の崩壊の証拠だけを見てきた。この証拠はかなり信頼性が高いと思われる。浅浮き彫りや円筒印章に見られる神々の不在、物言わぬ楔形文字からほとばしる、失われた神々に関する悲痛な叫び、祈りの重視、新たに登場した無言の神々、天使と悪魔、天の新しい概念。これらすべてが、神と呼ばれていた幻の声が、もはや人々の導き手ではなくなったことをはっきりと示している。
では、何が神々の役割に取って代わったのか。行動はどのようにして引き起こされるようになったのか。もし、幻覚の声が、複雑さを増していく行動にもはや適切に対応できなくなったのなら、決定はどう下せばよいのか。
主観的意識(〈私〉が様々な行動の選択肢をその結果に至るまで〈物語化〉できるような作業空間を、言語的比喩を基盤として発達させたもの)は、当然ながら、このジレンマの大きな結果だった。しかし、もっと初歩的な解決法で、意識に先行して発達するとともに、歴史の中で意識と並行してきたものに、占いとして知られる行為の複合体がある。
今では沈黙してしまった神の言葉を占おうとする試みは、驚くほど多様化し、複雑化していく。しかしこの多様性も、大きく四つの型に分けると理解しやすい。それらは、始まった時代順に並べられるし、意識に近づく連続したアプローチとしても解釈できる。その四つとは、前兆占い、くじ占い、卜占、自然発生的占いだ。――pp.282-283

―― 第二部「歴史の証言」 第4章「メソポタミアにおける心の変化」

以上、言語学的制約から自由になるために。