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J・B・テイラー『奇跡の脳』にて(右脳)

今回の記事は、過去の記事「J・B・テイラー『奇跡の脳』にて(言語)」のつづきです。言語中枢がある左脳の特徴に触れています。

一方、右脳の特徴は、スピリチュアリストの特徴そのものです。

 右脳はとにかく、現在の瞬間の豊かさしか気にしません。それは人生と、自分にかかわるすべての人たち、そしてあらゆることへの感謝の気持ちでいっぱい。右脳は満ち足りて情け深く、慈しみ深い上、いつまでも楽天的。右脳の人格にとっては、良い・悪い、正しい・間違いといった判断はありません。
 これを右脳マインドと呼ぶことにしましょう。ですから右脳マインドでは、あらゆることが相対的なつながりの中にあるのです。ありのままに物事を受け取り、今そこにあるものを事実として認めます。
 昨日より今日のほうが涼しい。ただそれだけ。今日、雨が降る。特に問題なし。右脳マインドは、ある人が別の人より背が高いと観察するでしょうし、この人はあの人よりお金を持っている、などと観察しますが、こうした観察結果は、判断にはつながりません。右脳マインドにとっては、わたしたちはみんな、人類という家族の平等な一員なのです。右脳マインドは国境や、人種や宗教のような人工的な境界などわからないし、気にもとめません。
 今回の脳卒中の体験から得た最も大きな「恵み」は、純粋な内なるよろこびの神経回路を若返らせ、さらに強められたこと。脳卒中のおかげでわたしは、子供のような好奇心をもって、ふたたび自由に世界を探検するようになりました。差し迫った危険はなく、世界中が安全に感じられ、自分の裏庭のように地球を闊歩しました。右脳の意識の中では、わたしたちは人類の可能性を秘めた宇宙のタペストリーに織り込まれているのだと感じ、人生の素晴らしさを感じ、ありのままを美しく感じます。

――pp.226-227 14章「わたしの右脳と左脳」

ここで、ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』を思い出したい。

右脳と左脳のバランスがとれていた〈二分心〉の人類は、3000年前、「文字に基づく言語意識」が芽生えて、バランスを崩したと考えられます。

加えて、W-J・オング『声の文化と文字の文化』も思い出したい。

文字を「読むこと」が一般大衆に普及しだしたのは15世紀です。それにともなう世界観の変化を、私たちは、数百年しか経験していません。

 ほとんどの人は、どちらか一方に考え方が偏り、常に分析し、批判的になり、柔軟さに欠けるパターン(極端な左脳状態)を示すか、あるいは、周囲とほとんど現実を分かち合うことなく、ほとんどの時間を「うわのそら」(極端な右脳状態)で過ごしています。

――p.223 14章「わたしの右脳と左脳」

私は、これらの書物で「読むこと」の難しさを、改めて自覚しました。

以上、言語学的制約から自由になるために。