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ジェーン・ロバーツ『セス・マテリアル』にて(本来の夢見へ)

時間に縛られる意識を解き放てば、その意識を夢見に向けられる。

 夢の宇宙には、いつの日にか、物質世界の歴史を完全に書き換えることになる概念が備わっているのだが、可能性としてのそのような概念を否定すれば、それが発現することを遅らせることになる。

――p.14 序文

物質的な宇宙と、夢の宇宙にも、焦点を合わせられるようになれば、超感覚的知覚(ESP:extrasensory perception)が開かれる。

 これは大変単純なセッションでした。セスは、このとき初めて学生たちに語りかけたのですが、それでも「セス・マテリアル」の中でよく出てくるいくつかの問題を取り上げました。人格は多次元的であること。個人の人格は基本的に時間や空間に縛られてはいないということ。わたしたち一人一人の運命は、自分たちの手で決めるのだということ。わたしたちはこの物質的な人生が始まる前に、自分が生まれてくる環境や、自分に最善の成長をもたらすような課題を選んだのであり、したがって不幸なことが起きても、神や社会、両親を責めることはできないということ。わたしたちは、呼吸をするのと同じように、なんの努力も私心もなく、物質を作り出しているのだということ。私たちはみんなテレパシーを使って集団的な思想に気づいており、それをもとにして、物質的な現実についての自分たちの概念を形成しているのだということ、などです。

――pp.21-22 ジェーン・ロバーツによる序文

セスの教えは、カール・グスタフ・ユングの考え方を超えています。

 まずはユングから始めよう。意識は自我構造を取り巻くように構成されていると、ユングは推測した。そして、彼が無意識と呼ぶものは、それほど自我による統制を受けていないので、ユングは無意識には意識はない――自己としての意識はない――と考えた。通常の自我は無意識の内容を直接知ることはできない、という彼の主張は説得力のあるものだ。しかしながら、ユングもきみたちの他の心理学者たちも、私が何度も述べてきたこと――内的な自我というものがあるということ、そしてユングが無意識の素材と呼ぶものは、この内的な自我によってまとめられている――ということに気づいていないのだ。――p.508

 はるか昔から、ある種の夢や睡眠状態には、自己意識と目的が関わっていることに気づき、目を覚ましている状態でも、その内なる自己の感覚を引き続き維持した人たちがいた。そのような人たちにとっては、自我意識だけが自分だと見なすことは、もはや不可能なのだ。彼らは、自分たちが自我エゴを超えたものであることに、明らかに気づいているのである。そうした知識が得られると、自我エゴはそれを受け入れることができるのだ。というのも、自我エゴを超えた感覚によって、自分にとって意識がぼやけるどころか、今まで自らが課してきた制約が取り除かれたのだということに自我エゴが驚きを持って気づくからである。――p.514

付録「セッション509……1969年11月24日(月曜日)午後9時10分」

私たちは、普通は、胎児の頃から、生き延びるために、物理的な宇宙に集中する訓練を繰り返して、夢の宇宙の焦点を忘れてしまうらしい。

この原著は、すでに和訳出版された『セスは語る』と『個人的現実の本質』よりも前、1970年に、セスの教えの骨子が述べられた書物です。

以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。