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ジェーン・ロバーツ『セス・マテリアル』にて(時間を超えて)

時間を超える意識は、人間の感覚器官を、次のように見る。

 時間に関するきみたちの考えは間違っている。きみたちが経験する時間は、肉体的な感覚器官によって創られた錯覚なのだ。肉体的感覚器官があるために、きみたちは行為をある特定の観点から知覚せざるを得なくなるのだが、知覚されるのは行為の本質ではない。肉体的感覚器官は、現実を一度に少しずつ知覚することができるにすぎない。そのため、きみたちにはある一瞬が存在して、永遠に消え去り、次の瞬間がやって来て、それもまた、その前の瞬間のように消滅してしまうように見えるわけだ。
 だが、宇宙にあるあらゆるものは一度に、同時に存在している。宇宙の始まりに発せられた言葉は、今でも宇宙の中を響き渡り、きみたちの観点からすると最後に述べられる言葉も、すでに発せられているのだ。それは、始まりというものは存在しないからだ。始まりと終わりで限られているのは、きみたちの知覚だけなのである。

――p.258 第12章「生まれ変わりについてのさらなる説明」

 映写機が映像をスクリーンに投射するのと同じように、目は内的なイメージ(観念)を物質世界に投影し、焦点を合わせる。口は言葉を、耳は音を創り出す。この原理を理解するのが困難なのは、イメージや音は感覚器官が読み取るのを待って、すでに存在しているものだと思い込んでいるからだ。実際には、感覚器官というものは、観念を物質に表現するのに使われる創造のためのチャンネルなのだ。
 つまり基本的には、感覚器官はすでに存在する物質世界を知覚するために発達したのではなく、世界を創造するためにあるのだ。

――pp.36-37 第1章「セスとの出会い」

その5次元意識は、輪廻転生の仕組みを、次のように解く。

「私たちは体を離れるとどこに行くのですか?」と牧師が尋ねました。ほかのメンバーはワインをすすりながら座って聞いていました。
「行きたいところにいくのだ」とセス。「睡眠状態で、あなたたちの通常の覚醒している意識的な心が一時的に休止すると、別の次元を旅することになる。つまり、すでにほかの次元に存在するという経験をしているわけだ。自分の進むべき道の準備をしているのだ。死が訪れると、自分で準備した、そうしたさまざまな道を辿っていくのだが、訓練のための期間はさまざまで、個人個人で異なっている。
 現実の中で巧みに対処できるようになるには、まず現実の有様を理解しなくてはならない。物質的な現実界において、あなたたちは、自分の思いは実在し、自分の知覚する現実は自分で創り出しているのだ、ということを学んでいる。そして、この次元を去るときには、自分が物質界で積み上げた知識を当てにするようになるのだ。自分にとっての現実を創り出しているのは自分自身だ、ということにまだ気づかなければ、物質界に戻って来て、再び現実を操作することを学ぶ。そして何度も繰り返して、自分の内なる現実が客観化したものと出会い、その結果を目の当たりにするのである。あなたたちは、学び終えるまで自分自身に教訓を与え、そうすることによって、自らのものである意識を、賢明に、巧みに扱うにはどうすればいいかを理解し始める。そうして他人の役に立つように模範となる心象を形成して、彼らを導き、案内することができるようになる。つまり、自分の理解の領域を絶えず押し広げているのだ。

――pp.252-253 第12章「生まれ変わりについてのさらなる説明」

このような文章を真に理解するためには、時間を超える5次元意識を体現していなければならない。後は、言語化の仕方を楽しめるかどうか。

以上、言語学的制約から自由になるために。