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「わたしたちは なぜ・・・」~食にいろいろ想うコト~

最近、何度か目にする【本のタイトル】が、なかなか 衝撃的です(苦笑)


【私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか: カーニズムとは何か】



読んではいませんが、このタイトルに、過去に書いたことを想い出しました。

最近、スマホにあがってくる「馬肉でつくられたドッグフード」の広告に、
ショックを受けています。

「どうしたら、犬に馬を食べさせよう。って発想になるんだろう?」

と・・・

人間の『残酷さ』を想う。より

ほんと、びっくりな発想で・・・


魂的な観点から言われてることでは、

食肉となる牛や豚は、地球に生まれるときに【人間に食される】ことを自分で選択して、牛や豚として生まれてくる

という話もあるようですが、


それでも【食肉】と【波動】が関係して言われる背景には、

食肉にされるときに【苦痛】や【恐怖】を与えないように配慮されたか、【命】を敬って扱われたか・・・

等が関与しているように感じます。


以前、わたしが四つ足肉を食べないことに関して、

「もし、わたしに、残留思念を読み取る能力があって、『食べてほしがって食肉になった』肉を選び取れるなら、喜んで食べます。」

と書いたことがあります。

本当に、家畜自身が「殺処分されることを望んでる」「食肉になることを望んでる」というのなら、なんの違和感も感じないと思います。

ですが、ほとんどがそうではなく・・・

『人間第一』『人間の価値観が唯一の基準』で展開してる『食肉文化』に違和感を感じるのです。

人間の『残酷さ』を想う。より


日本には【マタギ】という文化もありますし、

わたしのルーツである奄美大島でも、自宅でヤギを飼って、ハレの日には ご馳走として捌いて食す文化がありますし、

動物を食べること自体を裁いてるワケではないんですけどね。


【命をいただく】なら エゴから扱うだけでなく、大事に扱って無駄にしないで。と想うのです。


ちなみに・・・

奄美大島で育った 幼少期の父は、ペットだと思って名前をつけて世話をしていたヤギが、ある日食卓に乗って 知らされずに食べて、ひどく傷ついたことがあるそうです。

トラウマになりますね・・・(苦笑)



そうそう!【無駄にはしないで】に関連して。

直近で、またまた想っていたのが【恵方巻き】のコト。


謎なんです。いつも。


その日(節分)を越えたら意味をなさなくなるのに、
(買う人もいなくなるのに)、

なぜにあんなに、廃棄になることわかってて、大量に作って売るんだろう?って・・・。


仮に、仮にですよ。

中身の恵方巻き自体は、切って、翌日に【ただの海苔巻き】として売ってロスを少なくできるとしても、
(まあ、無いでしょうけど)

あの【恵方巻き】と印字された、プラケースや プラ包装紙等など・・・
それらは、間違いなく、廃棄されてますよね?
(洗って翌年に使いまわすとか、絶対ないですもんね?)


先日(節分の日)、夫が、普通のお寿司が食べたくて買いに出かけたら、
寿司コーナーが全て【恵方巻き】で埋まってたと。

「忘れてたよ。節分だってこと。恵方巻きしか売られてなかったよ」

と、がっかりして帰ってきました。

それも19時頃の話で、その時点でも 大量に残っていたというのです。

「まだ、やってるの?そんなこと・・・」

【恵方巻き】に限ったことじゃないでしょうけど。
ほんと、代表的な(残念な)フードロス文化を想いました。



タイトルからは逸れましたが。

ほんと、矛盾だらけのこの世界。


個人的には【食】に関するものが良く目について

飲食店などで、大食いチャレンジ企画を打ち出して 食材をロスするくらいなら、
無償で【子ども食堂】のようなことを展開してもいいのに

なんてことも、想ったりします☆


他にもいろいろ・・・想うことに関しては、自分で選択して行動(援助)しておりますが。


ひとりひとりの意識にかかってるんでしょうねぇ・・・。



またまた【美しき緑の星】を想い出しました(笑)


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