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物理学における「情報」と「実在」

量子力学は実在論ではなく、情報理論の一種です。でもこう言われても、

「情報は情報のみで存在し得るのか?」

「量子力学が情報を扱う理論であるなら、実在を表す本当の理論を。」

と素朴に感じてしまう方も多いと思います。「実在」というものが日常生活であまりにも当たり前のように刷り込まれているから当然の反応でもありますが、それは幻想なのです。

まずはよく考えてみて下さい。睡眠から覚めて目に入る世界は、光(つまり素粒子である光子の集まり)が持ってくる情報に過ぎません。例えば錯視は意識の現象的研究に役立ちますが、更に人間が見ている世界は最終的に脳内で加工されたものであることを教えてくれています。このデモンストレーションビデオも重要です。

空間や物体を奥行きがある3次元的対象だと感じるのも、脳の働きだと教えてくれています。是非最後までご覧ください。アッと驚かれる体験をされることでしょう。次のサイトに出てくる写真も錯視の効果です。

白黒写真にオレンジと青と緑の斜線などを加えただけのもの。線を加える以外には色を塗っていないのに、肌や服には色が付いて見えるのが不思議な錯視。皮膚や服の領域に色は付いていないという情報を、それぞれの光子は自分の網膜まで届けていたはずなのに、脳内では斜線部分の情報を採り入れて、錯視として皮膚や服に自動的に彩色してしまいます。我々が見ている世界は、決してそのまま実在しているわけではないのです。
 
では、その情報を運んでくる「光子」は実在でしょうか。これについても、普通の意味の実在ではないことが分かってます。例えば光子が存在しないはずの真空中を一様加速度運動する測定機や観測者は、加速度に比例した温度の光子の集まりとしての熱浴を観測するのです。

光子があるかないかは観測者に依存しています。真空中を慣性運動する観測者にとっては、光子は存在しない。ところが一様加速度運動する観測者にとっては、光子は存在するのです。現代物理学の基礎である場の量子論において、素朴な実在概念では光子すらも説明がつかないのです。

眠りから目覚めた人が見る世界の光景は、世界が素朴に実在していることを証明してません。情報が脳の中で処理され、それからイメージを作り出しているだけ。ただ毎日起きるたびその世界の風景に再現性があるため、素朴な実在という感覚を生み出して、日常の範囲でそれを長く利用してきただけなのです。

量子力学は素朴な実在を扱う理論ではなく、情報を扱う認識論的理論です。世界は量子情報からできている。量子重ね合わせにある自分自身を認知できない古典性がある意識を持った観測者としての私が、独立でかつ互いに背反な事象の中から、各時刻に唯1つの事象を確率的に体験するという事実があるだけです。

次のブログにあるトンネル効果のエネルギーの話も、量子力学が実在論的ではなく、情報理論、つまり認識論的であることのその一端を示しています。

トンネル領域でも粒子の存在確率は非零です。しかしそこに粒子が実在しているのなら、エネルギーが足りません。つまりその領域に測定前から粒子が実在していることを意味していないのです。その粒子をトンネル領域に見つけるには、位置測定機自身が十分なエネルギーをその粒子に与える必要があります。トンネル効果を示す波動関数は「もし仮にエネルギーを十分に粒子へ与えられる測定機を用意して、粒子の位置測定をするならば、そのときはトンネル領域にも粒子が○○%の確率で観測できる」などの情報の集合に過ぎません。

「情報は情報のみで存在し得るのか?」これには情報自体を記憶させる物理的実在は必要ではないのかという疑問も内包しています。でも「情報が物理的な何かに記憶されている」ということ自体も情報に過ぎません。本当に実在的な何かに情報が書き込まれているのかは、永遠に分かりません。

例えば量子情報を担う代表格として量子場を考えてみます。分かりやすさのために入門書的教科書では実在的な描像で量子場を説明する場合も多いです。でも場の理論には双対性というものがあり、見かけが全く異なる場の量子論が、実は同じものだったりすることが分かっています。

理論物理学分野で広く研究が続いているAdS/CFT対応という理論は、面白い性質を持っています。時空の理論であるAdS量子重力理論が、重力を全く含まない、そして空間次元も1つ小さな物質場の理論(CFT)に等価だという話です。例えば、空間次元が1つ高い曲がった時空に住んで、その宇宙の空間的な広がりを感じている人間も、実は次元が1つ低い平らな空間の別な場の理論の中の存在であって、その意識が空間の広がりを量子情報からイメージしているだけと言っても、それは原理的に区別ができないのです。

また実際の実験で使う電磁場だって、エネルギー的な観点から本当に実在かと言われると怪しいのです。電磁場のエネルギー密度は任意の時空点において、観測者に依存せず、客観的に存在しているように見えますが、それも実は観方次第です。

超弦理論のように高次元空間のコンパクト化で考えると、電磁場だって元は高次元重力場の一つの成分に過ぎません。そして重力場のエネルギー密度はテンソルの成分ではないことは昔から分かってます。ある点を中心とした近傍で座標変換すると、その点での重力場のエネルギー密度は常に零にさえできます。重力場のエネルギー密度が座標変換で零にできるという性質は、一般相対論の指導原理である「等価原理」からの直接の帰結でもあります。ある点近傍で自由落下を表す局所慣性座標系をとると、そこの重力は消えるのです。だからその場合には、その重力場のエネルギー密度もその点では零であるべきなのです。

電磁場を含む高次元重力場のエネルギー密度は座標系や観測者に依存する概念です。ただエネルギー密度を空間積分した全エネルギーは、漸近的対称性(ポアンカレ群や反ドジッター群)の座標変換でベクトルとして振る舞うことは分かってます。つまりエネルギー総量だけは、物理学的な意味があるのです。

重力場の空間的なエネルギー総量にだけは意味があるのですが、この総量は興味深いことに、空間無限遠方の境界領域だけで評価できるのです。エネルギー密度がある量の空間微分で書けるためです。

局所的な密度には意味がなく、無限遠方の境界だけで評価されるその総量だけに意味がある重力場のエネルギーは、最近議論されるホログラフィ原理と非常に整合しています。空間無限遠方の境界に全ての情報が存在しているというその描像とマッチしているのです。

「情報は情報のみで存在し得るのか?」「量子力学が情報を扱う理論であるなら、実在を表す本当の理論を。」と思う人は、もう一度より深く現代物理学における「実在」を批判的に考え直して頂ければと思います。「世界は量子情報でできている」という事実がきっと腹の底から理解できてくることでしょう。

なお理学部物理学科2年生向けの拙書『入門 現代の量子力学 -量子情報・量子測定を中心として-』(講談社サイエンティフィク)でも、「量子力学は情報理論」ということを強調しております。




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