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ベル不等式の破れはモノ自体の実在性を否定している

ベル不等式の破れは「そこにモノがある」ということを否定したのではなく、モノは実在してるのだけど、そのモノの物理量の実在性だけを否定したのだと説明する人が居ますが、それは間違った主張です。例えば電磁場の量子論で、光子という「モノ」の実在性を考えてみましょう。

『入門現代の量子力学』(講談社サイエンティフィク)の第1章にも書きましたが、ベル不等式の簡略版であるCHSH不等式を破る量子もつれ状態が作れる量子系ならば、どんな系でも隠れた変数の存在は実験で否定されます。それは量子的な電磁場の系でも同じです。

例えばある場所Aに「光子がいない」という局所真空状態|A0>と「光子が1つ存在している」という局所励起状態|A1>を考えてみましょう。この2つの状態ベクトルは互いに直交し、そして量子論なので、その線形重ね合わせ状態c(0)|A0>+c(1)|A1>も実験で用意可能です。これは光子が存在しない無の状態と、光子が1つ存在している状態とが重なる「シュレディンガーの猫」の状態です。この重ね合わせ状態は、たとえばハーフミラーと光学的な二重経路を組み合した装置で作ることもできます。

CHSH不等式のスピンz成分に対応させて、σz(A)=|A0><A0|-|A1><A1|という2準位エルミート行列を作ります。この物理量の固有値+1が観測されれば、光子はAに存在しないことを意味し、また-1が観測されれば、光子が1つAに存在していることを意味します。このσz(A)を測ることで計測される(1-σz(A))/2は、光子数という物理量を表しています。従ってσz(A)を測ることこそが、光子という「モノ」の存在の測定と言えます。

また同じスピンのx成分に対応するσx(A)=|A0><A1|+|A1><A0|という2準位エルミート行列も存在します。そしてこれに対応する物理量も存在しており、実験で測ることができます。

また離れた場所Bで同様に光子の測定機を置きます。|B0>を光子がBに無い状態、|B1>を光子がBにある状態とします。このとき実数係数αとβを使って|B0’>=α|B0>+β|B1>と|B1’>=β|B0>-α|B1>という線形重ね合わせ状態が作れます。そしてσ’z(B)=|B0’><B0'|-|B1'><B1'|とσ’x(B)=|B0'><B1'|+|B1'><B0'|というエルミート行列で、物理量を定義します。そしてα=cos(π/8)とβ=sin(π/8)としたときに、ある量子もつれ状態においては、σz(A)とσx(A)とσ'z(B)とσ'x(B)に関するCHSH不等式が破れます。

これが意味しているのは、次のことです。光子数の測定値を与えるσz(A)という物理量の値には、決定論的な隠れた変数は存在しないということです。つまり光子数である(1-σz(A))/2の値自体も、測定前には存在していなかったのです。ですから量子力学では、測定前に「モノ」が実在しているということすら言えないのですね。最初に述べたように、ベル不等式(CHSH不等式)の破れは、実在する「モノ」の物理量の値の非実在性だけを意味しているというよりも、「モノ」そのものの実在性も否定しています。

なお光子などの「モノ」の実在性については、有名なウンルー効果でも疑問視されることになります。

また量子コンピュータの素子になる超伝導体量子ビットは、原子よりはるかに大きいマイクロメートル程度です。典型的には10μmほどで、髪の毛の太さの1/10くらいですから、目を凝らせば肉眼でも見える大きさの物体です。その超伝導体量子ビットを使ってCHSH不等式を破る量子もつれ状態が実現され、量子計算に利用をされています。つまりその超伝導体を流れている永久電流にも隠れた変数は存在しないことになります。その意味において、永久電流を作っている電子の実在性も否定されます。もし電子に隠れた変数があるのならば、その集合としての永久電流にも隠れた変数が存在することになります。しかしこの永久電流の実在性はCHSH不等式の破れによって実験的に否定をされているので、電子も隠れた変数を持てないという理由からです。このように量子力学では一般に「モノ」の実在性が否定をされています。


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