Masahiro Hotta

量子情報物理学の研究者です。著書に『入門現代の量子力学 -量子情報・量子測定を中心とし…

Masahiro Hotta

量子情報物理学の研究者です。著書に『入門現代の量子力学 -量子情報・量子測定を中心として-』(講談社サイエンティフィク)『量子情報と時空の物理』(サイエンス社)。 Twitter: @hottaqu はてなブログ:https://mhotta.hatenablog.com/

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物理学における「実在」は存在していない  ~現代物理学事情(量子力学編)~

アインシュタインは、量子力学をこの世界のもっとも基本的な理論の1つとは見なしていませんでした。その理由の1つとして、日常的なモノの実在性とその決定論的な運動を量子力学は許していないという点を挙げています。量子力学ではない、決定論的な実在の物理法則が他にあると信じていたのです。 『君は,君が見上げているときだけ月が存在していると本当に信じるのか?』 これはアインシュタインが親しい物理学者に向けて言ったとされる言葉です。量子力学はその月の実在性も否定する理論だったので、彼は死

    • 古典確率とフォンノイマン鎖の「意識」の話

      量子力学は情報理論であるため、所謂「観測問題」というものもそもそも無いことが、下記のように現在では分かっています。 粒子の位置や粒子数などは素朴な実在ではなく、その確率分布だけで記述される情報的な対象であるのです。実はこのような情報理論的な考え方の萌芽は、前世紀初頭にフォンノイマンやウィグナーが既に持っていました。しかし彼らの話の中には、観測過程の終端として、観測者の「意識」が含まれていたために、多くの研究者がそれに反発をし、「量子力学は情報理論」という理解に至ることは当時

      • 量子力学におけるウィーラーの参加型宇宙

        「宇宙は私たちから独立して『あそこに』存在しているわけではありません。私たちは、起こっているように見えることを引き起こすことに避けられない形で関わっています。私たちは単なる観察者ではありません。私たちは参加者です。奇妙な意味で、これは参加型の宇宙なのです。」 これは「ブラックホール」の名称提案者としても知られる、理論物理学者のジョン・アーチボルド・ウィーラー(John Archibald Wheeler)の言葉です。彼はリチャード・ファインマンの先生としても知られています。

        • マーミンの魔法陣と量子力学での実在性の否定

          物理量に対して古典力学では、測定によらない真の値の存在と、その値の正確な測定の存在を無根拠に仮定をしていました。ところが量子力学は、その物理量の真の値は実在しておらず、また不可避な測定誤差や物理量への擾乱が出てくるという性質を持ちます。この物理量の中には、光子などの素粒子の数も入っており、その真の値が存在しないということは、その素粒子自体が実在として存在していないことを意味します。 2022年には「そこにモノがある」という局所実在性を否定をした、ベル不等式の破れの実験に対し

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        物理学における「実在」は存在していない  ~現代物理学事情(量子力学編)~

          ド・ブロイの「物質波」は、存在していない。

          18世紀頃まことしやかに信じられていた熱素のように、また相対論以前に信じられていた電磁波の媒体であるエーテルのように、ド・ブロイ波とも呼ばれるド・ブロイの物質波は、現代ではその存在は否定をされています。原子の中には実在としての物質波が充満しているわけではありません。前世紀から比べて、現代の量子力学の理解は進んでいます。 例えば電子の二重スリット実験も、物質波という実在で説明をすることは間違っています。 前世紀初頭の量子力学勃興期には概念の混乱が続きました。波動関数Ψは、物

          ド・ブロイの「物質波」は、存在していない。

          ニ重スリット実験: 量子力学では、意識を向けると電子は粒子になり、向けないと波になるのか?

          一般向けの量子力学の本には「電子は、見ようとすると粒子になり、見ないと波になる」のような記述があります。更に「素粒子は意識を向けると粒子になり、向けないと波になる」というような記述も、スピリチュアル系の書籍には出てきます。これらは実証科学としての量子力学の正確な記述にはなっておらず、非常に大きな誤解を世間に与えていると思います。人間の意識が素粒子などの対象を粒子や波に変えている事実はありません。 下記記事に書いたように、電子は「粒子でもあり、波でもある」と言ってしまうと厳密

          ニ重スリット実験: 量子力学では、意識を向けると電子は粒子になり、向けないと波になるのか?

          もしプランク定数が時間変化するとしたら?

          量子力学の基礎定数であるプランク定数、もしくはそれを2πで割った換算プランク定数ℏは、何故定数なのか?現在では国際単位系でプランク定数はある値に固定をされています。しかしこの問いでの「定数性」はシュレディンガー方程式に現れているプランク定数の時間依存性を問うています。このℏが定数である理由を誰も知らないので、将来のある時期から唐突にℏが時間変化をする可能性も零ではありません。ではそのときには何が起こるのでしょうか?これは物理学としても意味のある問いです。同様に光速度cや電子の

          もしプランク定数が時間変化するとしたら?

          量子力学の線形性はどこから来たのか?

          量子力学の不思議として強調されることの1つに、状態の重ね合わせがあります。例えば有名なシュレディンガーの猫の思考実験では、生きている猫と死んでいる猫の状態の重ね合わせが出てきます。本当は生きているのか死んでいるのかは決まっているのに、それを外部の観測者は知らないだけということではありません。猫を測定をする前には、その生死は本当に決まっていない。そして生死の測定をすることで、そのどちら1つの「事実」が創発をするという意味です。 数学的にこのことを説明する場合には、複素数を成分

          量子力学の線形性はどこから来たのか?

          擾乱の存在のために、量子力学における測定による変化は、単なる情報取得による変化とは考えられないのか?

          測定しない他の物理量への擾乱の存在は、他の確率論の場合とは異なる量子力学特有の不思議な特徴であり、測定による変化を単なる情報取得による変化とは考えられない大きな1つの理由になっていると、或る教科書に書かれていました。これは測定(観測)による波動関数や状態ベクトルの収縮に対しての記述であったのですが、この主張にはおかしなところがあります。 まず現代的な量子力学においては、下記の記事にもあるように量子状態トモグラフィ法によって量子状態や波動関数は明確に定義をされています。 そ

          擾乱の存在のために、量子力学における測定による変化は、単なる情報取得による変化とは考えられないのか?

          現代の量子ネイティブと、タイムマシンで現れたA.アインシュタイン、そしてJ.S.ベルとの対話 -実在論者を追い詰めた、量子もつれの存在-

          ある日、大学の講義で現代的な量子力学を学んで量子ネイティブとなった物理学徒が、タイムマシンから降りてきたアインシュタインとベルに呼び止められる。そして21世紀の量子力学について教えて欲しいと頼まれる。そういう設定で、今回は実在性のお話しをしてみましょう。 アインシュタイン「通訳機能はうまくいってるかな?今は何年ですか?」 物理学徒「2024年ですよ、アインシュタインさん。はじめまして。」 アインシュタイン「おお、うまくいきました。君は量子力学を習った人ですね?すこしお話

          現代の量子ネイティブと、タイムマシンで現れたA.アインシュタイン、そしてJ.S.ベルとの対話 -実在論者を追い詰めた、量子もつれの存在-

          量子的重ね合わせ状態を1回で区別できるならば、その人はユニタリー性を破る存在である。

          素朴な実在を扱う古典力学とは異なり、量子力学は実在概念をその中に持たない情報理論です。その理論の主役は、観測者が1回の試行で区別できる背反的な事象に対する確率分布です。「それらの事象は同時には起き得ず、背反的である」と観測者の意識が知覚認識する事象xとその集合Δに対して確率分布p(x)が導入されます。例えばサイコロの目が1であるならば、そのサイコロの目は同時に6にはなれません。このことを踏まえてΔ={1,2,3,4,5,6}として、サイコロの目x∈Δの出現確率をp(x)と数学

          量子的重ね合わせ状態を1回で区別できるならば、その人はユニタリー性を破る存在である。

          タイムパラドックスの物理学

          タイムマシンは多くの人にとっての憧れでもあり、世界の様々な小説やアニメ、映画にも多く出てくるテーマです。しかしそのストーリーの中では、必ず気にされることがあります。それがタイムパラドックスです。 過去の世界に戻ったときに、その過去の若い自分自身と会ったり、また自分の遠い祖先に会ったりすると、未来が変わってしまうのではないか?そのタイムトラベルに必然的な絡んでくる問題を、物理学では現在どのように考えているのかについて書いてみたいと思います。 時空の物理を記述する確立した物理

          タイムパラドックスの物理学

          永遠のトートロジーという宿命を負う、量子力学の多世界解釈理論

          前世紀には量子力学が情報理論であるということは、まだ明確ではありませんでした。波動関数は何等かの「実在」であり、それが観測で相対論的因果律を破って一気に1点に収縮するのは問題だと、多くの人々が考えていました。量子力学にはそのような波動関数の収縮という深刻な「観測問題」があり、それは物理学の最も重要な未解決問題だとも主張をされていたのです。しかし21世紀の現在では、量子力学にそのような「観測問題」はそもそも無かったのだという理解が成されています。 情報の集まりに過ぎない波動関

          永遠のトートロジーという宿命を負う、量子力学の多世界解釈理論

          超選択則と隠れた変数:量子力学における「実在」の否定について

          「そこにモノがある」という局所実在性の考え方は、下記記事のようにベル不等式の破れが見つかった実験で現在では否定をされております。 そしてその局所実在性否定の成果は、2022年のノーベル物理学賞の対象となりました。 そしてこの「実在」の否定の実証により、量子力学は実在論的理論ではなく、情報理論の一種であることも、よりはっきりとしてきたのです。現在までの実験でも精密に成り立っているものにチレルソン不等式というものがあります。この不等式は量子力学の理論的な予言です。ですから実験

          超選択則と隠れた変数:量子力学における「実在」の否定について

          「万物は量子情報」と「万物は素粒子」との整合性について

          「万物は量子情報」という認識論的な理解と「万物は原子分子、そしてそれらは素粒子標準理論に出てくる素粒子やまだ発見されていない素粒子からできている」という原子論的な還元論の理解との整合性で混乱する人もいます。それは原子論が前世紀に実在論として語られていたことが原因だと思います。でも21世紀の現在ではその「実在論」は下記記事にあるように否定をされてます。 電子、ニュートリノやクォークなどの素粒子を記述する標準理論も、「実在」という概念が実験的に既に否定をされている量子力学の中の

          「万物は量子情報」と「万物は素粒子」との整合性について

          何色でもない量子情報が作っている、この世界 -It From Qbit-

          現代物理学の基礎である量子力学は、下記の記事にあるように「実在」を否定しています。 量子力学自体も情報理論の一種に過ぎません。これまで目の前に在ると思っていた「モノ」も、観測者にとっては情報に過ぎないのです。この世界には色などの様々な個性をもつ「モノ」があふれています。それら全ては素粒子の集まりです。場の量子論では、その1つ1つの素粒子自体には個性が全くなく、どこでどのように作られたのかという記憶も各粒子は全く持ち合わせていません。たとえて言うと、色も形の個性も持たない同一

          何色でもない量子情報が作っている、この世界 -It From Qbit-