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「万物は量子情報」と「万物は素粒子」との整合性について

「万物は量子情報」という認識論的な理解と「万物は原子分子、そしてそれらは素粒子標準理論に出てくる素粒子やまだ発見されていない素粒子からできている」という原子論的な還元論の理解との整合性で混乱する人もいます。それは原子論が前世紀に実在論として語られていたことが原因だと思います。でも21世紀の現在ではその「実在論」は下記記事にあるように否定をされてます。

電子、ニュートリノやクォークなどの素粒子を記述する標準理論も、「実在」という概念が実験的に既に否定をされている量子力学の中の1つの理論に過ぎません。しかし体を貫通し続けても我々に何も感じさせないニュートリノを、現場でその実験をする研究者が「実在」であると無意識に感じてしまう理由は、素粒子反応のデータから各種物理量の保存則を読み取る、彼らの経験そのものにあります。

そもそもパウリがニュートリノを理論的に提案した理由は、エネルギー保存則の破れが起きないようにしたかったからでした。少なくとも低エネルギーの素粒子反応では、エネルギーや様々な物理量の保存則が成り立っています。データを解析する現場の物理学者は、そのような保存則を満たす対象に対して、なんらかの「実在」を感覚として自然に想起してしまうのです。

彼らにとってのこの「実在」の本性は、このような物理量の保存則に過ぎません。素粒子標準理論とは、エネルギー、運動量、バリオン数、レプトン数、ゲージ電荷などの多様な保存則と、その各保存量がどのように時間とともに各部分系間でやりとりされるのかを記述する理論です。体を無感覚に突き抜けているニュートリノに対しても、実験家がその「実在」をまるで触っているかのような感覚に陥る理由は、多様な保存則を縦糸横糸として編み上げた織物(fabric)としての、そういう素粒子標準理論の本来性に原因があるのです。

しかしその「実在」は、量子力学では厳密には否定をされている、単なる近似的概念に過ぎません。2022年のノーベル物理学賞となった有名なベル不等式の破れの実証により、「そこにモノが在る」という局所実在性が実験で否定をされているのです。天動説が観測によって覆ったように、我々にとって当たり前な感覚でもある「そこにモノが在る」という思い込みも、既に現代物理学の実験によって覆っているのです。

ニュートリノ実験でも、繰り返し繰り返し経験をする各種物理量の保存則が、実験現場での解析にはとても有用な「実在」という幻を、実験家の脳内に作り出しているだけなのです。また標準理論を超える高エネルギー領域での新しい物理においては、バリオン数やレプトン数などの保存則も、実際には破れているだろうと予想をされています。

素粒子標準理論を実在論的に教えてしまう前世紀スタイルの講義は、今世紀後半には消えていると、私は思っています。教員の世代交代の中で、実験的に確定をしている「量子力学は情報理論であり、局所実在はそもそも存在しない」という事実が、当たり前に広く浸透しているはずだからです。「ありありとした実在」としてではなく、飽くまで「量子情報としての素粒子」としてのニュートリノを、教壇に立っている量子ネイティブ世代は教えていることでしょう。

なお量子力学は実在論ではなく、情報理論であることを強調をした下記の現代的な教科書を、講談社サイエンティフィクから出しております。


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