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物理学者は「探偵」

例えばパウリやランダウやファインマンは理論物理学者でしたが、自分たちの物理理論を厳密な数学にすることには無関心でした。これに関して紹介をしたい、世界的に有名なジョークがあります。

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天文学者と物理学者と数学者がスコットランドで休暇を過ごしていた。列車の窓から眺めていると、平原の真ん中に黒い羊がいるのが見えた。

天文学者:「なんてこった!スコットランドの羊はみんな真っ黒なんだね。」

物理学者:「違う違う。せいぜい何匹かが黒いだけさ。」

数学者(天を仰ぎながらやれやれという調子で、抑揚を付けて):
「スコットランドには、少なくとも1つの平原が存在し、そこに1匹の羊が居て、さらにこっち側の片面が黒いということが分かるだけさ。」

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このジョークの中では、物理学者は「違う違う。せいぜい何匹かが黒いだけさ」と言っています。これは推理としては、妥当な推理です。推理というものには常に正しい保証はないのですが、これまでの経験知識も踏まえると、非常に尤もらしいものであるわけです。もし普段から「少なくとも1つの平原が存在し、そこに1匹の羊が居て、さらにこっち側の片面が黒い」と悠長に言っているならば、面白い物理現象の裏にあるメカニズムを明らかすることは、遅くなるに違いありません。物理学の仕事には、そういう側面があるのです。

例えるなら、数学者は犯罪者の罪と罰をきちんと定義し、矛盾のない法律体系を整えようとする立法家と言えるでしょう。そして物理学者は逃げる犯人(物理現象の裏にあるメカニズム)を推理で追い詰める探偵です。探偵は新しい証拠が出てくる度に、推理をやり直して、最後には犯人を特定して捕まえる仕事です。

物理学者は自然世界そのものを探求する存在です。一方、数学者は、矛盾のない多様な理想世界の論理の体系を組み上げていく存在です。ですから優れた物理学者は自然の深い姿を明らかにする人を指しますし、優れた数学者は多くの場合形而上的なイデアの世界で、永遠に揺らがない論理体系を生み出す人を指すのだと思います。

現場で証拠を集め、推理をしながら犯人を追い詰める「探偵」と、書斎の外に出ない「立法家」とでは、価値観の衝突もたびたび起こるのは仕方がないことです。明らかに犯人グループ(謎の自然現象)の黒幕なのに、現時点の法律体系(既存の数学)の前提に含まれておらず、裁けない巨悪がいたら、探偵(物理学者)は立法家(数学者)に、これまでとは違う法律の前提が必要だと力説しますし、そのプロトタイプとなる数学の鋳型も、その探偵自身が作って示すことでしょう。ディラックのデルタ関数などは、その一例です。現場の「探偵」に現時点の法律体系を全て学ばせて、その法律通りにいつも判断をし、決して逸脱せぬように行動せよと圧力をかけることは、社会を良くすることには繋がりません。現実(自然現象)には合わない法律の前提(数学の公理)を考え直すように促す「探偵」のような存在も必要です。

稀に物理学者兼数学者の方も世の中にいらっしゃいますが、だからと言って、優れた物理学者になるためには、優れた数学者になる必要があるとは、私は全く考えていないのです。代わりに、これからは物理学者や天文学者などの自然科学者、またそれに数学者と哲学者も含めて、学際的な協力が自然界の大きな謎の解明に大事だと考えています。それぞれの仕事の個性、違いを互いによく理解をして、それを踏まえて、この複雑不可思議な自然世界に一緒に目を向けていく。それが今後の時代でも大事であり続けるのだろうと思います。

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