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差分は微分の近似ではなく、微分が差分の近似 -数学と物理学の違い-

物理学として重要なのは、どんな物理理論でも適用範囲が存在するということです。例えば力学では質点という概念を導入しますよね。でも現在の物理学者の中に、本当に大きさが零の物体があると思って説明している人はいないはずです。実験や観測で興味のある領域では大きさ零で近似して良いという意味です。

例えば、よく宇宙の天体も質点として扱って、その運動方程式を解きますが、良い精度で観測データを説明してます。でも現実にはそれぞれの天体に有限の大きさがあり、構造があり、物質組成があるわけです。それらに依存しない性質が、その天体が点に見える大きなスケールでの物理で見えてくるのです。

力学ではよく対象を質点として扱い、またその質量密度分布をディラックのデルタ関数δ(x)を用いて書くことも多いです。でもその密度分布は本当に原点だけに局在しながらその値が無限大に発散しているわけではありません。実際にはその対象の詳細構造に依った有限の大きさεというものがあるのです。

図1

例えば理論の適用範囲内で十分小さなεに対して、考えている実験領域では滑らかな図1の任意の関数f(x)と、質点として近似できる対象の密度分布を表す関数の掛け算の積分では、その密度関数をデルタ関数で近似できるという意味です。でも実際には質点やデルタ関数ではなく、有限サイズを持ってます。十分小さな対象ならば、質点と近似できて、そこから普遍性のある小さな物体の性質が演繹できるという点が物理の本質です。でも数学のようにεを本当に0へ極限をとると、多くの物理理論では、その正当な適用範囲を超えてしまい、得られた結果は実世界とは全く関係のない無意味なものになります。

量子力学を考えても、実は相対論的な場の効果のために、厳密に空間の1点に局在する1粒子状態は存在はしないのです。状態を局在させるためには多数の粒子が必要となります。これについては下記記事の後半を参照してください。

また流体力学でも、流体を作る原子分子の存在があるため、厳密なε→0極限に物理的意味はないのです。連続的な流体の描像は、離散的な原子分子の集合に対する近似な見方に過ぎません。実際はそのεを原子分子サイズより十分に大きくして、同時に考えている流体の波の典型的な波長よりも圧倒的に小さい値をとることが、連続体の流体力学が正当化される適用範囲の条件から要求されているのです。このような物理理論では、「差分は微分の近似ではなく、微分が差分の近似」とも言えるのです。

結局理論物理学で無限大や無限小の極限が出てくる場合には、その理論の適用範囲内で、有限だけど十分大きいまたは小さいという近似の意味に過ぎません。原子分子の離散性などの実際の自然界の事実を全く無視して、完全なる数学としての厳密な無限極限を扱うその労力は、単なる徒労に終わるのです。

ベストセラーとなった『ご冗談でしょうファインマンさん』に出てくる話ですが、数学徒が有名なバナッハ=タルスキの定理を物理学者のリチャード・ファインマンに話したとき、1つのオレンジをそれと同じオレンジ2つにできるという説明をしたそうです。ファインマンはそれを聞いて、オレンジは離散的な原子分子からできているので無限分割はできないから、それは無理だと笑ったのだそうです。ここにも数学と物理学における世界の観方の違いが、如実に現れています。

数学のトポロジーという概念は、最近理論物理学でも大活躍しています。しかしその物理理論にも、もちろん適用範囲があります。数学者はよく「ドーナツは穴が1つだけ空いたトポロジーを持つ」と表現しますが、それは物理の具象を無視して抽象化した結果の表現にすぎません。

ドーナツは原子分子の集まりで、その原子核や電子は原子分子のサイズに比べても圧倒的に小さく、ドーナツの中はスカスカの空間になっています。ですからドーナツの穴は1つというよりも、穴だらけというのが自然界の現実です。それでもトポロジーは、エネルギー領域などを限定したある適用範囲内で、物理として十分に意味を持つのです。電子や原子核が散らばっているスカスカの空間が見える大きさの領域の実験ではなく、もっと大きなスケールでドーナツが1つの塊としてみなせる領域での実験では、ドーナツの「形の連続変形」という概念を理論の適用範囲付きで導入することができるのです。それを踏まえて初めて「ドーナツには穴1つ」という数学的な前提が物理として共有されてくるのです。

「ドーナツには穴1つ」ということを、疑う必要のない当たり前の自然な前提と思ってしまう人は、物理のセンスをもっと磨く必要があります。この短い文章で書かれる前提を、シンプルでわかりやすいと感じてしまうならば、物理学者としてはナイーブすぎるのです。この前提文の背景には、実は考慮すべき沢山の物理の詳細(具象)が存在しています。それらの実証科学的な具象は、この短い文章の中に丸められているだけの話です。

超新星爆発からのニュートリノ観測でノーベル賞をとられた小柴先生も、良い物理学者とは物理理論の適用範囲について良く知っている人と語っていたそうです。特に物理学徒は、このことをよくよく肝に銘じたほうが良いと思っています。

このような物理学の見方を様々な分野の多くの方とも共有できたらと、私は願っています。


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