無題

竜巻現場を基点とした神風串呂 1(№48)

この記事は、神皇正統家極秘伝神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を分かりやすく解説したものです。

串呂(クシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した元伊勢クシロの事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「昭和31年(1956)1月18日、大王崎東南方で発生した竜巻現場を基点とした神風串呂 1」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!


1、竜巻を起こす秘法の的確なる成果!

昭和31年(1956)1月18日、三浦芳聖が、「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点に、出来るだけ被害の無いように竜巻を起こし給え」と祈念して「竜巻を起こす秘法」を厳修したところ、三重県志摩郡大王町波切大王崎東南方7キロ海上に幅約1000m高さ400mの大竜巻が起きた神風串呂は、すでに二回にわたってご紹介しました。

今回は、果たして秘法による竜巻は「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点」に起きたのかどうか、竜巻を起こす秘法の成果を立証する神風串呂をご紹介します。

2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。

3、竜巻現場を基点とした神風串呂

昭和31年(1956)1月18日、三浦芳聖が、「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点に、出来るだけ被害の無いように竜巻を起こし給え」と祈念して「竜巻を起こす秘法」を厳修したところ、三重県志摩郡大王町波切大王崎東南方7キロ海上に幅約1000m高さ400mの大竜巻が起きました。

下記の4本の串呂は、その竜巻現場を基点にして解明された神風串呂の中の代表的なものです。「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点」に起きたかどうか、ご確認くだされば幸いです。

(1)「大君」「三浦」「小松三串」の神風串呂

三浦芳聖は、「大君」(広島県江田島市大柿町)と「小松」(愛知県北設楽郡設楽町)とを串呂すると、次の様になると述べています。


三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

大君」(江田島市)-「三浦地区」(尾道市)-「⛩湊川神社」(神戸市)-「小松町」(西宮市)-「小松」(東淀川区)-「小松」(設楽町)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』172頁、現住所に改めた。)

【地文のみ掲載】
「大君」-「三浦地区」-「湊川神社」-「小松」-「小松」-「小松」

【地文の解釈】
ア、大君(おおきみ、広島県江田島市大柿町)
日本における天皇、皇子、皇女に対する尊称。串呂では主として天皇を表わす地文です。大君=大王(おおきみ)=天皇。古代の天皇に対する敬称「おおきみ」のことで、天皇を表わす。

『ウィキペディア(Wikipedia)』大君
『ウィキペディア(Wikipedia)』大王

大君・大柿町
広島県江田島市大柿町 大君(地図マピオン)

イ、三浦地区(みうらちく、広島県尾道市)
三浦皇統家をあらわす地文。1948年5月の町村統合で消滅したが、三浦線というバスの路線名として残っている。この三浦村は外浦、鏡浦、椋浦の三つの地区で構成されていた。その中心部は現在「鏡浦町」となっている。

【参照】「広島県御調郡因島三浦村は、1948年5月に三庄町(椋浦)と中庄村(鏡浦・外浦)に分割されて消滅したが、両町を結ぶバスの路線名「三浦線」として残っている。」『ウィキペディア(Wikipedia)』因島市

尾道市三浦線

ウ、湊川神社(みなとがわじんじゃ、神戸市中央区多聞通)
祭神は、南朝大忠臣「楠木正成公」を祀る神社で元別格官幣社。地元では「楠公(なんこう)さん」と呼ばれています。

湊川神社
神戸市中央区多聞通(地図マピオン)

この神風串呂の守護神であると共に、祭神の楠木正成公の子孫のDNAも、婚姻を通じて三浦家に入っていますので、楠木正成公が三浦家の遠祖であることは間違いありません。

【参照】三浦佐久姫 ・大宝天皇皇后 (№14)

【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』湊川神社

神戸市中央区多聞通に湊川神社が建立されたのは、延元元年/建武3年5月25日(1336年7月4日)、湊川の戦い「摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦」で、正成と正季兄弟らが刺し違えて自害した事跡によります。
『ウィキペディア(Wikipedia)』湊川の戦い

【参照】後醍醐天皇の御名を鑑定する神風串呂 (№15)

エ、小松町(こまつちょう、兵庫県西宮市)

西宮市小松町
兵庫県西宮市 小松町(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。他の「小松」とで「小松三串」の絶対確証の神風串呂を構成している。

歴史上、小松天皇は不在ですが、後小松天皇(1377年8月1日〈天授3年6月27日〉 - 1433年12月1日〈永享5年10月20日〉)が存在する以上、「小松天皇」がいなければならないわけで、いかに官製の歴史がいい加減なものかがここからもお分かりになるかと思います。

オ、小松(こまつ、大阪府大阪市東淀川区)

東淀川区小松
大阪府大阪市東淀川区 小松(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。他の「小松」とで「小松三串」の絶対確証の神風串呂を構成している。

カ、小松(こまつ、愛知県北設楽郡設楽町)

設楽町小松
愛知県北設楽郡設楽町(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。他の「小松」とで「小松三串」の絶対確証の神風串呂を構成している。

【串呂の解釈】
神皇正統第98代小松天皇(興良)は、大君(天皇)である。

湊川神社がこの神風串呂を守護し立証している。「大君」(天皇)、「三浦村地区」、「湊川神社」(南朝大忠臣大楠公奉斎)の重要地文を串線し「小松」三串の絶対確証の神風串呂です。

(2)竜巻現場と小松(西宮市)との神風串呂

三浦芳聖は、「小松町」(西宮市)と「昭和31年1月18日の竜巻現場」とを串呂すると、次の様になると述べています。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

小松町」(西宮市)-「大和田」(西淀川区)-「竜巻現場」(志摩市)(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』172頁、住所は現在のものに改めた。住所の詳細は【地文の解釈】をご覧下さい。)

【地文のみ掲載】
「昭和31年(1956)1月18日の竜巻現場」-「大和田」-「小松」

【地文の解釈】
ア、小松町(こまつちょう、兵庫県西宮市)

西宮市小松町
兵庫県西宮市小松町(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。「大君」「三浦」「小松三串」の神風串呂上の「小松」の一つ。

イ、大和田(おおわだ、大阪市西淀川区)

西淀川区大和田
大阪市西淀川区 大和田(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇の串呂哲学上での符号。因みに、小松天皇の皇子「松良天皇」の符号は「和田」です。【参照】和田四串の神風串呂

ウ、竜巻現場(三重県志摩市大王町波切大王崎東南方7キロ海上)
昭和31年(1956)1月18日午後1時30分ごろ、三重県志摩郡大王町の東南方7キロの海上に、幅約1000メートル、高さ約400メートルの大竜巻が起きた。

【参照】昭和31年1月18日の竜巻現場についての新聞記事。

三重海上に大龍巻 作業船四隻が被害
十八日午後一時三十分ごろ志摩郡大王崎七キロの海上を第八升栄丸(四十一トン―船籍和歌山市)が作業船正博丸(四トン―船籍大阪市)とともに作業船七隻を引航して航行中突然幅約一千メートル、高さ四百メートルの龍巻に遭遇しその余波でロープを切断、最後尾にいた作業船第一信和丸(四トン―船籍大阪市)が沈没、乗組員二名が片田海岸に泳ぎついたのを漁民が発見、救助したほか作業船一隻が大王崎灯台下で大破一隻が波切町米子浜に漂着、二隻が片田沖で座礁、ほかは波切港に無事入港した。
「京都新聞、昭和31年(1956)1月19日朝刊」

昭和31年(1956)1月18日、午後1時35分、三浦芳聖が、名鉄鳴海駅プラットフォームにて、竜巻を起こす秘法を厳修したところ、上記のような大竜巻が起きた。

三浦芳聖は、昭和31年1月18日、午後1時35分、勤務先からの帰途、名鉄「鳴海駅」に於て、「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点に、出来るだけ被害の無いように竜巻を起こし給え」と祈念して「竜巻を起こす秘法」を厳修した。すると、三重県志摩市大王町波切大王崎東南方7キロ海上に、幅約1000m、高さ約400mの大竜巻が起きた。この日は、三浦芳聖が三河八幡宮で神界より「竜巻を起こす秘法」を伝法された満5周年記念日で、その伝法された「昭和26年1月18日午後1時35分」と同時刻に秘法を厳修した。(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』170頁)

【串呂の解釈】
神皇正統第98代小松天皇(興良)の串呂哲学上の符号は大和田である。

(3)竜巻現場と小松(大阪市)の神風串呂


『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』172頁

三浦芳聖は、「小松」(大阪市東淀川区)と「昭和31年1月18日の竜巻現場」とを串呂すると、次の様になると述べています。

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』172頁、住所は現在のものに改め「小松」の住所を訂正しました。)

小松」(東淀川区)-「大和田駅」(門真市)-「竜巻現場」(志摩市)

【地文のみ掲載】
「小松」-「大和田」-「昭和31年1月18日の竜巻現場」

【地文の解釈】
ア、小松(こまつ、大阪市東淀川区)

東淀川区小松
大阪市東淀川区小松(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。「大君」「三浦」「小松三串」の神風串呂上の「小松」の一つ。

イ、大和田駅(おおわだ駅、大阪府門真市宮野町)

門真市大和田
大阪府門真市宮野町 大和田駅(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇の串呂哲学上での符号。因みに、小松天皇の皇子「松良天皇」の符号は「和田」です。

ウ、竜巻現場(三重県志摩市大王町波切 大王崎東南方7キロ海上)

大王崎
三重県志摩市大王町波切(地図マピオン)

上記、(2)竜巻現場と小松(西宮市)との神風串呂の「ウ」を参照ください。

【串呂の解釈】
神皇正統第98代小松天皇(興良)の串呂哲学上の符号は大和田である。

(4)竜巻現場と小松(設楽町)との神風串呂


三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第四章

「小松」(設楽町)-「大和田」(新城市)-「竜巻現場」(志摩市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』172頁、住所は現在のものに改めた。住所の詳細は【地文の解釈】をご覧下さい。)

【地文のみ掲載】
「小松」-「大和田」-「昭和31年1月18日の竜巻現場」

【地文の解釈】
ア、小松(こまつ、愛知県北設楽郡設楽町)
神皇正統第98代小松天皇(興良)をあらわす地文。「大君」「三浦」「小松三串」の神風串呂上の「小松」の一つ。

設楽町小松
愛知県北設楽郡設楽町小松 (地図マピオン)

イ、大和田(おおわだ、愛知県新城市作手)

作手大和田
愛知県新城市作手 大和田(地図マピオン)

神皇正統第98代小松天皇の串呂哲学上での符号。因みに、小松天皇の皇子「松良天皇」の符号は「和田」である。

ウ、竜巻現場(三重県志摩市大王町波切 大王崎東南方7キロ海上)

大王崎
三重県志摩市大王町波切(地図マピオン)

(2)竜巻現場と小松(西宮市)との神風串呂の「ウ」を参照ください。

【串呂の解釈】
神皇正統第98代小松天皇(興良)の串呂哲学上の符号は大和田である。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

(1)大君-三浦地区-湊川神社-小松町(西宮市)-小松(東淀川区)-小松(設楽町)
(2)小松町(西宮市)-大和田(西淀川区)-竜巻現場
(3)小松(東淀川区)-大和田駅(門真市)-竜巻現場
(4)小松(設楽町)-大和田」(新城市作手)-竜巻現場

正に、秘法厳修時の祈念のとおり「小松天皇の符号が大和田であることを昭示する神風串呂の的確なる地点」に竜巻が起きています。下記串呂と併せてご考察ください。

「内宮」「外宮」「白鬚神社」の神風串呂(№46)
竜巻現場-皇大神宮内宮-外宮-白鬚神社

竜巻現場と名鉄鳴海駅との神風串呂(№47)
昭和31年1月18日の竜巻現場-石鏡-名鉄鳴海駅-雨晴

こうした秘法厳修と、その成果としての神秘的な神風串呂は、五皇一体の八幡大明神としてこの世に派遣された「三浦芳聖」が、いかなる存在であるかを昭示する為に、串呂主宰神・天照大御神の設計された青写真に基づいて、計画通りに実施された「イベント」だと思います。

こうしたイベントは、串呂主宰神が、長年月にわたってのご苦心の末に構築されたもので、「偉大さや力の誇示」ではなく、「何としても日本民族を救済したい!」という大愛に基づくものと理解しています。


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🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№47)
🟢次号(№49)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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