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地文学への招待-「一身田」(串呂哲学研究ノート第290号)

💖このオンラインブックは、三重県津市の「一身田いしんでん」は、伊勢神宮の大神の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、真日本国再建のために用意周到よういしゅうとう、計画的に構築され命名された串呂地文である事を考察し考証した世界で最初の小論文です。

串呂主宰神・天照大御神

一身田町を中心とする一身田いしんでん」の地図 ⬇⬇⬇


💫真日本国再建のため、霊戦を開始しよう!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!
私は、朝夕「大祓祝詞おおはらいのりと太祝詞ふとのりと斎鏡斎穂之神勅さいきょうさいすいのしんちょく十言神呪とごとのかじり神名奉誦しんめいほうしょう三種祓詞みくさのはらいことばなど)」を約40分ほど掛けて奏上し、真日本国の再建を熱禱祈願しています!

🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🔴この亡国の危機にひんしている日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日々惟神かんながらの生活を実践し、日高見国ひだかみのくに(縄文日本国)としてよみがえることであると確信しています。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本国再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。

🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目にうのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本国再建の為には日々の研鑽けんさん・学習・戦いが必要です!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!

著者 鈴木超世志



🔴日本国再建の為の必読書!神風串呂の集大成!オンライン復刻版!


🟢足利氏による皇統簒奪こうとうさんだつ背乗はいのり事件についての必読書!


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識

初めての方は、下記の記事を参照してください。


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💖「一身田いしんでん」-地文学への招待 №24

三重県津市「一身田」(地図マピオン)

🟠一身田(いしんでん)について

三重県津市の「一身田」は「いしんでん」と読みます。国内唯一の地名です。

🟡旧一身田町は広域(旧河芸かわげ郡一身田町)
一身田には、一身田町のほかに、一身田中野、一身田平野、一身田大古曽おおごそ、一身田豊野とよの、一身田上津部田こうづべたがあり広域にわたる地名です。

🟡御田みたさとと呼ばれた御厨みくりや
伊勢平野のほば中央、志登茂川とその支流毛無川とに挟まれ低地に位置する。一身田の地は御田みたさとと称し、モロヒトと称する36戸の神宮奉仕・御供米ごくまい供進きょうしんの里であった。地名の由来は、その一代いちだいに対し下賜かしされた田地にちなむといわれる(河芸郡史)。
(「角川日本地名大辞典」)

🟡⛩一御田神社いちみたじんじゃ
三重県の県庁所在地である津市北部にある古い街並みの一身田いしんでん寺内町じないちょうに⛩一御田神社いちみたじんじゃがある。

一御田神社(三重県津市一身田町679)

🟡高田山たかださん専修寺せんじゅじ
この一身田町には、上記の地図でお分かりのように、JR東海・紀勢きせい本線一身田駅の東側に高田山たかださん専修寺せんじゅじという浄土真宗しんしゅう高田派の大寺院(本山)があります。

真宗高田派本山 専修寺(三重県津市)

🟡串呂哲学では
三重県旧🔴芸郡一身田町の「御田みたさと」「真宗高田派本山一身田専修寺」は、後醍醐ごだいご天皇第一皇子・尊良たかなが親王(1304年甲辰きのえたつ陰暦8月8日生れ)の再現を、親王降誕満600年目の記念日(明治37年(1904年)陰暦8月8日)に産み参らそうと、血の通った一身をささげて、一心(一身)専念(専修)に観音さまに祈念を込めた崇高な母(田)=🔴合元子を昭示する地文と解読いたします!

御田は御母、真宗は、まことの祈念(信仰)と解読します。

🟡河芸町南黒田に隣接している
一身田町は、昭和29年(1954年)1月15日に津市に編入される前は、奇しくも🔴芸(かわげ)郡一身田町で一身田豊野の北部は、⛩黒田神社と卍観音寺のある河芸町南黒田と隣接しています。

河芸町の河は🔴合の河で、一身田の👑かんむりである南黒田は、明治14年辛巳かのとみ年(1881年)5月10日生れの二黒土星じこくどせいの母を表す地文。卍観音寺は、母・元子が観音様に祈念したことを表わします。

津市河芸町南黒田の⛩黒田神社と卍観音寺(YAHOO!JAPAN地図)

【参照】黒田三串 高松二串 で、三浦芳聖降誕地を通る神風串呂
明治14年辛巳かのとみ年(1881年)5月10日二黒土星じこくどせい生れの母が観音様に祈念して後醍醐天皇第一皇子「尊良親王」再現・三浦芳聖(高松)を御産おんうみ参らせたことを昭示する串呂。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 序文

三浦芳聖の母「元子」の悲願(№24)で既報の如く、三浦芳聖の母は、河合家(尊良親王第二皇子基良もとなが親王の嫡孫)に一子相伝に継承された後醍醐天皇ご自作の観音様(木造一寸五分・お厨子入り)を肌身離さず奉持して、

明治32年(1899年)に三浦家にとついでからの5ヶ年半、遠祖・尊良親王の降誕600年目の記念日に、その再現を御産おんうみ参らそうと、ひたすら祈念をめ、一日の狂いもなく、明治37年(1904年)甲辰9月17日、(陰暦8月8日)午前6時、三浦芳聖を出産されました。この日は正に尊良親王ご降誕満6百年目の降誕記念日でした。

神界は、この母元子の偉業をたたえて、彼女の誕生日である5月10日を「母の日」と制定しました。(現在は5月第2日曜日)

🟡一身田専修寺の串呂哲学的意義
1、伊勢神宮の御厨みくりや=重要串呂起点・伊勢神宮に関連した地名
2、三重県=三串 -🔴-🔴-🔴- に相当
3、河芸郡=河合元子の河に通ずる
4、御田=御母(御は敬称、田は母を表す)
5、真宗=まことの祈念(信仰)
6、高田=崇高な母(田)、高貴な母
7、一身田専修寺=一身をささげて一心(一身)専念に祈念を籠めた母(田)
8、河芸町南黒田の⛩黒田神社=二黒土星の母・河合元子
9、南黒田の卍観音寺=後醍醐天皇御自作の観音様に祈念を籠めたこと

・・・・・

【地誌・地歴】

一身田いっしんでんは、古代、律令制の土地公有のとき、その人一代を期限として朝廷から租を免除されて賜った田地。いしでん。
デジタル大辞泉「一身田」

―身田 いしんでん 三重県津市
県中部、津市北部の地区。もと河芸郡一身田町。1954年(昭和29)津市に編入。古くは『神鳳鈔じんぽうしよう』に伊勢国菴芸郡あんきぐん一身田御厨みくりやとあり、伊勢神宮領36町をようした御料地であった。1465年真宗高田派本山無量寿寺(専修寺)が栃木県二宮町から移され、以後寺領となり、周囲に堀を巡らした寺内町とよばれる独特の集落形態を形成した。(「日本地名大百科」91頁/小学館)

🟡コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典「一身田」
三重県中部、津市北部の旧町域。1954年津市に編入。伊勢街道の宿駅であり,また寛正6(1465)年、真宗高田派10世の真慧(しんね)が建立した専修寺(せんじゅじ)の寺内町として発達。専修寺は初め東海・北陸方面教化の中心寺院であったが、栃木県真岡市高田にあった本寺が焼失したため、本山となった。国指定重要文化財の御影堂みえいどうは、寛文6(1666)年、藩主藤堂高次とうどうたかつぐが建てた 725畳敷の壮大な和様建築。親鸞の真筆『三帖和讃』(国宝)を含む多くの文化財を所蔵する。

🟡一身田 (sakura.ne.jp)
🟡一身田なび
🟡『一身田町- Wikipedia


🔴なぜ神風串呂は構築されたのか!


🟡一身田の神風串呂


三浦芳聖によって、芳聖の母「元子」が、観音様に一心専念に祈念を込めたことを昭示する神風串呂が解明されていますので、ご紹介します。各地文の詳細については、リンク先の記事をご覧下さい。

🔴尊良親王再現・三浦芳聖の神風串呂2(№26)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第一章

高良-八幡-和気-竜王山-応神天皇御陵-一身田専修寺-三浦芳聖降誕地

明治32年(1899年)愛知県岡崎市牧平町大門の三浦家に嫁いだ三浦芳聖の母「元子」は、観音様を肌身離さず捧持して一心専念に祈念を篭め、尊良親王降誕六百年記念日(明治37年9月17日、陰暦8月8日)に、一日の狂いもなく尊良親王の再現三浦芳聖を出産した。

神武・応神・後嵯峨・尊良・松良五皇一 体の再現ゆえ、「応神天皇御陵」が串呂しています。応神天皇を奉斎する「⛩石清水八幡宮」を串線する下記の串呂と対照的であります。

🟡石清水八幡宮と牧平大門との神風串呂(№4-2)

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第七章

🟡龍子-⛩石清水八幡宮-三浦芳聖降誕地-⛩安房大神宮(№4-2)
🔴高良-応神天皇御陵-卍一身田専修寺-三浦芳聖降誕地(№26)
🟢高長-卍醍醐三宝院-三浦芳聖降誕地-〽観音山(黒田二串/№25)

遠祖・尊良親王降誕600年記念日の明治37年(1904年)甲辰年8月8日(陰暦)に、一日も違う事なく三浦芳聖を出産した事実、これは奇跡であります。

しかもその奇跡が目に見える「地文」に結実して神風串呂になっている。

串呂主宰神・天照大御神は真実を昭示するために、ここまで考慮して串呂を構築下さっているのです。

串呂は天照大御神の光明輝く大愛の顕現であり奇跡の御神諭であります!

串呂主宰神・天照大御神

串呂主宰神・天照大御神は、かつて日高見国ひだかみのくにを侵略して滅ぼし、富士山麓の阿祖山大神宮から御鏡を強奪した仇敵に対して、串呂という愛のご神諭を以てお返しになられたのであります。

💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね!まことに感激です!

串呂主宰神が、この「一身田」その他の串呂地文を構築するのに、どんなに苦心されたかは想像を絶する世界です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。

直観力の優れた方なら、もうこの地文を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された天照大御神の存在を認識できると思います。ぜひ、国土地理院発行の20万分の1の地勢図をつなぎ合わせて、実際にご確認いただきたいと思います。

🔴串呂地文学で皇祖神の存在を認識し、皇祖神からのメッセージに触れたなら、いますぐ行動しなければなりません。いま我が日本国は亡国、日本民族は滅亡の危機に瀕ひんしているのです。

💫国家民族を救済する光の霊戦士となりましょう!
🔴日本国再建のため、いますぐ光の霊戦士となって霊戦を開始しましょう!


💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。


🟡串呂文庫 コピーサービスのお知らせ |串呂哲学研究会|note


🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機に瀕ひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


🟡串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№289)
「龍子」-地文学への招待(№23)
🟢次号(№291)
「大明神岬」-地文学への招待(№25)

💖地文学への招待一覧(マガジン)


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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究ノート
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。