見出し画像

三浦芳聖伝 40、世界に二人とない実証(串呂哲学研究ノート№161)

世界に二人とない実証

1、50日間の断飲断食の行を敢行

昭和20年8月24日、豊川市萩町の寓居に於て、天照大御神より、空前絶後の御神諭を賜った三浦芳聖は、次のように述べています。

【参照】天照大御神の御神諭(№160)

「私は、この御神諭を拝誦して全く夢見る心地でありましたが、この御神諭が間違いなく天照大御神の御神諭であるか、あるいは自己魔睡の錯覚であるかを確かめる為に、勿論万死の覚悟(切腹自裁するのを餓死に代えて)で、水一滴も用いない断飲断食の行を50日間敢行しました。」

画像2

芳聖は、「この御神諭が精神錯乱症状を起して霊感したものならば、満五十日間水一滴も用いない断飲断食の行を決行すれば之によって涸死するであろう。

この御神諭が、天照大御神の御神諭に絶対間違いないならば、断じて死なないだろう」と考え、切腹自裁を思い止まり、50日間の断飲断食の行に入りました。

すると、一週間程で、ほぼ枯死状態に陥り、意識も朦朧となってほとんど死に掛けましたが、11日目位から霊界より有形無形の飲食を与えられ奇跡的に蘇生しました。

下記は、三浦芳聖が、この時の事を10年後の昭和30年に記述した記録です。

 五十日間水一滴も用いない断飲断食の行を決行致しました。(勿論之で私が餓死するようなら日本の国体は永遠に滅び去ったのだ。若し之で餓死しないならば断じて神州不滅、神州不滅なら肇国の理想も亦必ず実現し得ると云う誓願をかけて決行致しました)然るに霊界無形の飲食が与えられて、天佑神助の下(もと)此の不死神仙の行を完了する事が出来ました。
 私の体験によれば、これこそ全身全霊を打込む事が出来ます。従来の禅堂に於ける座禅や、寒中の水行位では全身全霊を打込むと迠は参りませぬ。禅の大死一番とは単なる観念に過ぎません。然るに五十日間の断飲断食は確かに大死一番を体得致します。元陸軍大将真崎甚三郎先生は三週間の断飲断食の行を決行され実に尊い体得をせられました。
三浦芳聖著『神界伝法―姓名鑑定秘法』(敗戦亡国以来満十年)

*コラム・超世志のここだけの話
 三浦芳聖は、27歳の時に仙人の行を実施し、空気を食べる秘法を習得し、水さえ飲んでいれば、飢え死にしないので、水も用いない断飲断食の行を敢行したと述べている。
    この秘法は誰でも出来る法で、口内に唾液がたまったら舌をU字型にして唾液と空気を混ぜながら飲み込む方法である。舌がU字型にならない方は無理かもしれない。
 霊界よりの有形無形の飲食とは、唾液腺からジュースやカルピス、牛乳のような液体が出て来て、50日間の断飲断食の行を終わる頃には、以前より頑強な身体になっていたと述べている。

2、石清水八幡宮に参篭祈願

こうして50日間の断飲断食の行を終えた三浦芳聖は、天照大御神のご神諭は「精神錯乱による幻覚症状」ではない正しいご神示であったという大確信を得ましたが、それでもまだ納得がいかず、

断飲断食の行を終えた昭和20年(1945年)10月中旬、水だけを飲みながら二所の宗廟の一つであり国体明徴の神である、京都の「石清水八幡宮」まで行脚し、一晩参籠して一心に祈念を篭め、次のような誓約(うけい)を行い、世界に二人とない実証を与えられました。

画像2

『萬一此の御神諭が私の精神錯乱症に依るものなれば、即座に私の生命を断って頂きたい。のみならず私の血統を断絶して頂きたい。しかしながら「天照大御神」の御神諭が絶対間違いないならば、全世界に二人とない実証を与え給え』と熱禱祈願を致しまするや、

3、世界に二人とない実証

一点の塵雲も無い快晴の下「太陽凝視直拝」を神命されて、直ちに赫々と輝く「太陽」を凝視直拝すると、いささかもまぶしい事無く、実に真善美なる宝鏡を拝する如くで、

画像4

其の時萩の寓居で拝した「天照大御神」の御尊姿そのままの御尊姿が空中に御出現遊ばされて、

画像5

『吾が御子これの宝鏡を視まさむ事、まさに吾れを視るが如くすべし』

と温容籠れる御神勅を賜わり、感涙滂沱として両頬に流れ、感激措く能わずして萩の寓居に皈り、爾来快晴の日は春夏秋冬を通じて、太陽凝視直拝をして斎鏡斎穂の神勅を奉誦して只管に「スメラミコト」に成切る修行に精進して参りました。(三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』序文64頁)

註、「斎鏡の神勅」
「吾(あ)が児(みこ)、此(こ)れの宝鏡(みかがみ)を視(み)まさんこと、当(まさ)に吾(あれ)を視(み)るがごとくすべし、與(とも)に床(みゆか)を同(おな)じくし、殿(みあらか)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いわいのかがみ)となすべし。」

この時以来、三浦芳聖が太陽を凝視直拝すると、全然眩しくないばかりか、太陽はまるで澄み切った「御鏡」のようにプラチナ色に光り輝き、「真善美なる宝鏡」を拝するようであり、太陽を凝視直拝すれば、ただちに神人合一の境地に遊ぶことができ、天照大御神の御本質をはっきりと体認、自確(ママ)する事が出来ると述べています。(要約『神風串呂』昭和42年2月号)

4、石清水八幡宮の神風串呂

石清水八幡宮

(1)二所の宗廟から牧平大門を鑑る!藤太夫島 と佐久島 (№4)
「龍子」―「⛩石清水八幡宮」―「三浦芳聖降誕地」―「佐久」―「藤太夫島」―「⛩安房大神宮」

(2)石清水八幡宮と三浦芳聖晩年の住所との神風串呂 (№28)
「国府町地区」-「的場」-「天王」-「加賀美」-「大門」-「⛩石清水八幡宮」-「国府町」-「国府町・天王山」-「三浦芳聖晩年の住所」

(3)石清水八幡宮と金ヶ崎神宮の神風串呂(№36)
「高城山」-「高松」-「⛩石清水八幡宮」-「⛩賀茂御祖河合神社」-「⛩金崎神宮」-「⛩藤島神社」

(4)石清水八幡宮と御香宮との神風串呂 (№102)
「由良」-「⛩石清水八幡宮」-「⛩御香宮」-「⛩天之御中主尊神社」-「太平寺」-「燕岳」-「霊仙寺」-「薬師岳」-「平林」-「薬師峠」-「薬師山」


🔴神風串呂を学びましょう!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
・・・・・
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志著)
💟開鏡の神風串呂-天の岩戸開きへの道
🎀串呂文庫 コピーサービスのお知らせ(🌷新着)


🟡バックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の皇統を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。

ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№160)
🟢次号(№162)

*******************
🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
*******************

串呂哲学研究ノートは、読者の皆様方の財政的ご支援により活動が維持されています。理解しやすい記事作成のために諸般の費用が掛かります。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。読者の皆様方のご支援に感謝しています!