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三浦芳聖伝 41、スメラミコトの復活(串呂哲学研究ノート№162)

スメラミコトの復活

1、神皇正統のスメラミコトの復活

日本民族が未曾有の敗戦で茫然自失していた昭和20年(1945年)10月、我が国二所の宗廟の一つであり、国体明徴の神である「石清水八幡宮」の社前において、ひそかに神皇正統のスメラミコトが復活していました。

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昭和20年(1945年)8月24日、愛知県豊川市萩町の寓居に於て、天照大御神より「汝は神皇正統嫡皇孫・天津日嗣のスメラミコトであります。私に勝手に死ぬことは許しません!」という空前絶後の御神諭を賜った三浦芳聖は、

切腹自裁を50日間の断飲断食行に代えた処、餓死するどころか、神界より有形無形の飲食を与えられ、10月中旬には以前にも増して頑強な身体になっていました。

それでもまだ、芳聖は、自分が「スメラミコト」である事が納得できず、国体明徴の神「石清水八幡宮」に一夜参篭して「天照大御神の御神諭が本当なら世界に二人と無い実証を示し給え、精神錯乱に依る錯覚なら即座に命を召し上げ給え」と誓約(うけい)を行ったところ、

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「外へ出て太陽を見よ!」との霊示があり、外へ出て太陽を見たところ全然眩しくなく、それ以来、真夏の太陽を終日凝視直拝しても、いささかも眩しいことがないばかりか、目を傷めることもありませんでした。

 【参照】三浦芳聖伝 40、世界に二人とない実証(№161)

こうして間違いなく自分が神皇正統・天津日嗣のスメラミコトである事を確信した三浦芳聖は、愛知県音羽町萩村上近久(現・豊川市萩町)の寓居に戻り、家族を呼び寄せて、天照大御神のご神諭のまにまに、神皇正統嫡皇孫「天津日嗣のスメラミコト」に成り切るために、命懸け血みどろの修行を開始し、神国再建、世界平和、人類安寧のための天業に邁進することになりました。

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大宝天皇が享徳3年(1454年)愛知県岡崎市牧平町大門において、神命のまにまに三種の神器を地下深く埋蔵して天之岩戸篭りをし、三浦藤太夫と称し、純然たる百姓となってから、491年後のことでありました。これは現代の奇跡ではないでしょうか。

芳聖は、天照大御神より直々に「汝は神皇正統嫡皇孫・天津日嗣のスメラミコトである」と御神諭賜ったことを誇りにし、「天照大御神の天津日嗣のスメラミコト」に相応しい霊格・人格を備えるため、萩村上近久の寓居に於て、

兵庫県多可町岩座神の日月の滝での禊祓いをはじめ、太陽凝視直拝の行、断食行脚の行、大祓神勅奉唱の祭祀など、文字通り命がけ血みどろの猛修行に打ち込みつつ、神風串呂の解明に取り組みました。

芳聖は、現在「自称天皇のひとり」程度にしか知られていませんが、この神皇正統家は本物であるがゆえに、これから時間の経過と共に輝きを増し、混迷せる日本を救い導く光明となると思います。

人類の精神文明の栄えのために、神皇正統・天津日嗣のスメラミコトの復活を称え、祝いたいと思います。

2、神界伝法の姓名数理学

昭和20年(1945年)10月下旬から、芳聖は、愛知県豊川市萩町の寓居に於て、早朝6時から夜11時まで、大祓神勅奉唱の祭祀と山陰川の清流での禊祓いに打込んでいました。

これは、「大祓詞を奏上する時、天津祝詞(太祝詞)に天壌無窮の神勅や斎鏡斎穂の神勅を九回唱える神道祭祀で、約一時間ほど掛かる」を一日8回実施していました。

此処での、祭祀中に、神界から芳聖に様々な霊示があり、この時期は、下記の神風串呂があるせいか、後醍醐天皇が毎日のように御降臨になられて、色々なことを教えて下さったそうであります。

吉野神宮」(奈良県吉野郡吉野町吉野山)-「萩村寓居」(愛知県豊川市萩町上近久)-「高天原」(茨城県鹿嶋市)

その霊示の中で特筆すべきは、12月のある日、祭祀中に霊眼に文字が見えたので、それを8日間にわたり毎日ノートに書き写したところ、それは姓名数理学でした。

その内容は、熊崎式姓名数理学とほぼ同じものですが、神界伝法だけあって同じ内容を表現するにも奥が深い神々しい言葉になっています。

 私は此の姓名学の伝法を受けてから毎日大祓祭祀の間の時間に歴史上の人物から過去の英雄豪傑忠臣烈士を首め、さては明治以来の学者、政治家、宗教家、両親兄弟、家族、同志、友人等を片っ端から鑑定|培象《ばいしょう
》して其の的中せるに驚歎しました。
 此の大祓は私独特の祭祀で、上は皇祖皇宗の神霊から下は一般外国人の諸霊に至る迄の萬霊を招霊して、一回一時間余りかかる祭祀をし、此の諸霊が播州加古川の上流、岩座神日月の滝の禊に行かれて帰って来られる迄約一時間、この間に私は裏の小川の清流で禊して約五十分程待ち、諸霊が帰って来られると又次の大祓祭祀が始められる。之を毎日八回宛反復実施。

(三浦芳聖著『神界伝法ー姓名鑑定秘法』11頁/1955年、他の資料要約編集。読み易くする為、改行、句点を補う等、編集致しました事をお断りします。)

3、伝法ー萩村寓居の神風串呂

芳聖が、愛知県音羽町萩村上近久(現・豊川市萩町)の寓居に於て修行中、神界より様々な伝法(霊示)があった事を昭示する神風串呂が解明されていますので御紹介します。

神武天皇畝傍御陵」(奈・橿原市)-「三浦芳聖の萩村寓居」(愛・豊川市萩町上近久)-「無双連山」(静・島田市)-「伝法」(静・富士市)

伝法

「神武天皇畝傍御陵」-「三浦芳聖の萩村寓居」-「無双連山」-「伝法」

三浦芳聖が萩村寓居での修行中に得た伝法(霊示)は、無双(並ぶものがないほど優れている)にして、連山(数が多い)を表わします。

「神武天皇畝傍御陵」は、この串呂の守護神であると同時に、伝法(霊示)が、皇祖皇宗の御神霊からのお導きである事を昭示しています。


🟠三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟠三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🟠神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志 著)
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🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂や三浦芳聖伝の紹介記事のバックナンバーです。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。
神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№161)
🟢次号(№163)

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
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