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言葉のドッチボール【箱庭の詩】

言葉のキャッチボール────という言葉を聞いたことがあるだろう。

会話を比喩で喩えた表現であり、問いに対して返答し、それを何度も繰り返す……という会話の基本そのものだ。

キャッチボールという表現は言い得て妙で、会話というものはキャッチボールをするかのように言葉のボールを投げ合う。

しかし、本当に言葉をキャッチボールできているのかは甚だ疑問だ。

キャッチボールというのは、相手が受け取りやすいように『配慮』したうえでボールを投げるものだ。

そして受け取ったボールは、相手に同じ様に『配慮』した上で投げ返す。

果たしてキャッチボールと同じように、私達の言葉は相手に『配慮』しているのだろうか?

ボールを投げつけるだけ投げつけて、相手のボールを避けるだけ……つまり言いたいことだけ言って、聞く耳を持たないなんてことはないだろうか?

罵詈雑言を浴びせて、相手に怒りを込もった言葉のボールを投げて痛めつけてはいないだろうか?

それはキャッチボールではなくドッチボールだ。

逆に野球ボールを投げたのに、相手はバスケットボールを投げてきた……なんてこともあるのではないだろうか?

互いにボールをキャッチする気がないどころか、同じボールを使っていない会話もあるだろう。

さらに一方的に鋼球を投げ続け、相手を恐怖で屈服させる使い方もある。

誰しも心当たりがあるのではないだろうか?

投げるボールのサイズ、重さなどはちゃんと相手に合わせられているだろうか?

『配慮』の欠けたコミュニケーションになってはいないだろうか?

会話をドッチボールしていないだろうか?

会話は苦手でもいいから、受け取ったボールを誠心誠意返してあげればそれだけでも十分だ。

しかし、勘違いや思った返答が返ってこなかったからと言って腹を立て、一方的に会話を打ち切ってしまったり、言葉で相手を捲(まく)し立てない様に注意が必要だ。

言葉のドッチボールは何も生まない。

日頃の言動の一つ一つにもっと気持ちを込めて人に接していきたいものだ。

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