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『箱庭の詩』-『私』を生きるための言葉集-

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人は『心』という箱庭を持っている。 心は決して交わらず、互いに理解し合うことはない。 なぜなら人は、心という箱庭からは出ることができないから。 だからこそ『私』を知り、他者に寄り… もっと読む
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記事一覧

仕事と勤勉と生きる意味【箱庭の詩】

『仕事のコツは生き方で決まる』 『仕事のコツ』とはなんだろうか? 誰しもコツがあれば実践したいと思うだろうが、コツを知っているとデキる人だと評価されるのだろうか? 仕事の内容によってはコツなんて変わってしまうのではないだろうか? 皆が知りたいのに特定の人にしか通用せず、自分に無関係だったらそれはコツだと言えるだろうか? だから環境だとか、上司や同僚だとか、場所だとか、変化のないルーティンワークだとか、運動不足になるデスクワークだとか、お客様と会話しなければならない営

優秀の価値は人それぞれ【箱庭の詩】

『優秀かどうかなんて、誰にも評価できない』 さて、どちらが優秀だろうか? AさんとBさんという船の船長がいた。 Aさんは物事に大雑把な性格で注意力が散漫な性格をしていて、その船がある日座礁して乗客全員の命が危ぶまれたが、Aさんの機転によって奇跡的に全員が生還し、英雄と称された。 Bさんは石橋を叩いて渡る程の慎重派で、船の運転には毎回責任感による緊張をしながら操船しているので、無事故無違反の最優秀賞を受賞した。 さて、優秀な船乗りはどちらだろうか? おそらく答えは人

科学と占術の共通点【箱庭の詩】

占いなんて信じない。 そういう人は一定数いるものです。 現代は占術より科学が優位の時代です。 現代社会は科学技術が飛躍的に進歩し、文化や技術を発展させてきたことは言うまでもありません。 ではなぜ、占いより科学の方が正しいと思ってしまうのでしょうか? ちなみに、これは占いと科学、どちらを信じるかの話ではありません。 『なぜ占いではなく、科学の方が信じやすいのか?』の思索になります。 信じるか信じないかの議論はナンセンス(無意味)です。 人は信じたいものを信じたい

毒親と子供ガチャ【箱庭の詩】

『家族とのつながりを責める前に、自分の心に問いかける』 私は親の理想の子供にはなれませんでした。 親の期待には応えられない子供のまま、大人になりました。 そんな自分の子供の頃を振り返ってしまいます。 頭が良い子供が欲しかったんだろうな。 スポーツ万能な子供が欲しかったんだろうな。 勉強ができる子供が欲しかったんだろうな。 いつも笑顔いっぱいの子供が欲しかったんだろうな。 手のかからない子供が欲しかったんだろうな。 何でも言うことを聞く子供が欲しかったんだろう

大人と子供の違いとは?【箱庭の詩】

『大人とは感情をコントロールできる人のことである』 大人と子供の違いは何だろうか。 年齢だろうか? 身長だろうか? 見た目だろうか? 雰囲気だろうか? 性格だろうか? 精神年齢だろうか? 働いているかどうか? 税金を払っているかどうか? 自立しているかどうか? 甲斐性だろうか? 家族を持っているかどうか? 人それぞれ考えがあって、枚挙に暇(いとま)がない。 もちろん見た目では判断などできないし、社会人だからと言って大人だとも言い切れない。 だから

なぜ掃除をするのか?【箱庭の詩】

『掃除とは、人や物など全てに感謝をすることである』 なぜ掃除をしなければならないのだろう? 何もしていないのに何処からともなく埃が現れ、覚えのない汚れが付着していたりするのが忌々しくて面倒臭い。 しかし定期的に掃除しないと、どんどん汚れていくし、私達の健康を損なう可能性だってある。 掃除なんてものは時間の無駄で、お金に余裕があれば誰かにやってもらうのも手だと考える人もいるかもしれない。 『時は金なり』と言うし、掃除なんてのは人生にとって無駄な作業だから、もっと別の物

言葉のドッチボール【箱庭の詩】

言葉のキャッチボール────という言葉を聞いたことがあるだろう。 会話を比喩で喩えた表現であり、問いに対して返答し、それを何度も繰り返す……という会話の基本そのものだ。 キャッチボールという表現は言い得て妙で、会話というものはキャッチボールをするかのように言葉のボールを投げ合う。 しかし、本当に言葉をキャッチボールできているのかは甚だ疑問だ。 キャッチボールというのは、相手が受け取りやすいように『配慮』したうえでボールを投げるものだ。 そして受け取ったボールは、相手

あらましと目的【箱庭の詩】

私達は人生を生きる上で、様々な想いを抱えて生きています。 感じたこと、考えたこと、影響を受けたこと、表現したいこと────。 そのどれもが『私』達にとっての宝物です。 しかしながら、その想いは世界にどれだけ伝えられているのでしょうか? 百億分の一にも満たないのではないのでしょうか? 具体的な数値はともかく、そんな想いのほとんどが誰にも知られないまま『私』の中で腐って消えているのかもしれません。 それもそのはず、人は自分の事を話したい生き物。 話を聞いてくれる人は