優秀の価値は人それぞれ【箱庭の詩】
『優秀かどうかなんて、誰にも評価できない』
さて、どちらが優秀だろうか?
AさんとBさんという船の船長がいた。
Aさんは物事に大雑把な性格で注意力が散漫な性格をしていて、その船がある日座礁して乗客全員の命が危ぶまれたが、Aさんの機転によって奇跡的に全員が生還し、英雄と称された。
Bさんは石橋を叩いて渡る程の慎重派で、船の運転には毎回責任感による緊張をしながら操船しているので、無事故無違反の最優秀賞を受賞した。
さて、優秀な船乗りはどちらだろうか?
おそらく答えは人それぞれだと思うし、状況が細分化されれば評価も変わるだろう。
本来的には無事故なBさんの方が優秀ではあるのだと思う。
しかし、劇的な成果を挙げたAさんの方が多くの人が賞賛し、誰の目で見ても奇跡を起こしたので、すごいことだし、それに伴って給料だって上がるかもしれない。
人気やカリスマ性、評価が高い、単純にお金持ちというだけでも人は『優秀』だと評価してしまいやすい。
端的に言えば、『結果』だけで優秀かどうかの判断をしてしまうということだ。
その過程が見逃されやすいのは仕方のないことかもしれない。
アニメや漫画などの物語で修行回が省かれやすいのは、単に退屈で地味で面白くないからだ。
脚光を浴び、目に留まりやすいのはそういった劇的なストーリー性がある面白さや意外な物事が多い。
それを錯覚して『優秀』だと評価してしまう。
もちろん普段から入念な準備をして、いつ来るか分からないチャンスをつかめた人もいる。
そういう人も『優秀』だと判断できる。
要は、『優秀』かどうかは全体を俯瞰しなければ決して評価できないという点だ。
勉強ができるから優秀なのか?
賞を受賞したから優秀なのか?
評価が高いから優秀なのか?
資格をたくさん持っていたり、難しい資格を持っていると優秀なのか?
真面目で安全に気を付けているから優秀なのか?
皆に愛されているから優秀なのか?
才能にあふれていると優秀なのか?
それをよく考えてみる必要がある。
本当は優秀かどうかなんてどうでもいい。
最も大切なのは、『人の為に自分の全力を尽くすこと』だ。
それを当たり前にできる人を『優秀』というのだと思う。
そういう人たちが自然と『優秀』だと評価されるのは、自分ごとの様に嬉しいし、そうでないならこの世の中は嘘に塗れている。
頑張っているのに報われない……評価されないというのはあまりにも虚しい。
肩書や経歴というものは一種のステータスだから、付き合う分には最も安心できる情報だ。
しかしそれだけではその人を『優秀』だと判断してはいけない。
しっかり自分の目で見て、感じて判断しなければならない。
結局、優秀かどうかなんてのは他人の物差しやぶら下げている肩書では判断できない。
自分で見極めて、心の中で評価していくしかない。
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