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軽度認知症のタミ子

私は最近、祖母タミ子との会話を録音している。
いつからだろう、彼女がデイサービスに通うようになってからだろうか。
彼女は妄想を起きた事実として話すようになり、私はそれを録りため始めた。被害妄想の話が多い。

彼女がデイサービスに数回通いだしたころ、こんな会話をした。
タミ子「施設に、私のことを気にいらないばあさんがいてね。」
私「そうなの?」
タミ子「こっちが挨拶しても、返してくれない。私が何をしたっていうのよ。」
私「そうなんだ、もしかしたら声が聞こえなかったのかもよ?」

年齢的に仕方がないことだが、94歳の祖母は耳が遠かった。
補聴器をしていても、近くで大声で話さないと、話しかけられていることに気づかないほどだった。
だからもし相手が挨拶を返してくれたとして、気づかないこともよくあるだろうと思った。

その後、日に日に祖母の話は展開していった。
タミ子「あのいじわるばあさん、私だけ無視するんだよ」
   「あのばあさんが施設のみんなにも、私と口をきくなって言ってる」
   「施設の職員も一緒になって、私を追い出したいみたいだ」

毎日毎日数時間、同じ内容を繰り返し話した。
まるで初めて打ち明けたかのように。
私たち家族は頭を抱え、ノイローゼになりかけた。

施設の通所者と人間関係のトラブルは予想の範囲内。でも集団いじめを施設が見過ごしていて、職員まで敵になる状況は普通に考えてまずないだろう。

だから家族全員が言っていた。
「考えすぎじゃない?」
「多分誤解してるんだよ。」
「そんなことありえないから大丈夫、気のせい気のせい。」

思えば、私を含む家族みんな、祖母を認知症患者と考えきれていなかった。
「そんなことがあったんだね。それはひどいよね。辛かったね。」と共感してあげるのが”適切な対応”だったのかもしれない。

でも「またあることないこと言ってるわ」と内心では思いながら、まともじゃない相手をなだめるみたいに諭すのが、嫌だった。
もともと真面目でしっかりした祖母。
違うことは違う、と彼女に指摘したい気持ちがあった。

それに、家族間で悲しみや痛みに寄り添うということに抵抗もあった。そんなことを今までしてきたことがなかったから。
不思議と、赤の他人には寄り添って、優しい言葉もかけられる。
でも何十年も一緒にいる家族にそんなことしたことがない。そんなスイッチを入れたことがないし、どこにあるのかも分からない。なんか恥ずかしい。

寄り添わない私たち家族のせいで、祖母はわかってもらえない孤独で寂しかったのかもしれない。それは申し訳なく思う。

一応、施設の職員には祖母の訴えを共有した。職員は特に人間関係の問題を把握していなかった。というか、おそらく存在しない。
祖母は家族の前で「もう施設に行きたくないから辞める」と20回くらい言い、私たちは「別に辞めたらいいじゃん」と20回くらい言った。

そうかと思えば、いざ辞めようという面談で祖母が、
「いつも良くして頂いて楽しく通えています。このまま通おうと思います」とまるっきり反対のことを笑顔で言っていた。

2つのデイサービスを試し、結局どちらも上手くいかずに辞めた。今は毎日家にいて一日中テレビを観ている。
数年経ち、妄想はどんどんエスカレートし、私の録音実績も増えた。

彼女の口癖は「人に迷惑かけて何もできない。早く死にたい」だが、私の学びに十分役立っている。祖母は、私に人生をかけて「老い」を教えてくれている。


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