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福島を題材にした作品作りpart 2

本日は前回の福島を題材にした作品作りのパート2を書いていきたいと思います!まだ前回のパート1を読んでない方はリンクを貼っておきますので、お時間あったらそちらから読んでいただけるとより理解しやすい内容かと思います!

今回は2019年の8月から〜2019年の10月まで一気に書いていきたいと思います。では行きます!

2度目の現地取材、クラウドファンディング開始

僕たちは前回福島の現地と外の人とのギャップを可視化する作品を作りたいと思い8月にクラウドファンディングを始め、再び福島へ取材に行きました。
回った場所としては前回と同じ小高、原ノ町、浪江と、初めて回ったのですが以前は帰還困難区域に指定されていた大熊町を回りました。

具体的に作品作りをするにあたって、自分たちが見てきた景色を形にできればいいなということで、映像作品を作ることになりました。ですので2回目の取材は素材の映像を撮ることとともに、またいろいろな人へお話を聞いていきました。

被災地でも異なる風景

映像作品の撮影で気づいたことは、福島という同じ県内でも被災の仕方が異なってるということでした。それが顕著に出たのは浪江、小高の沿岸部と浪江の山間部、大熊町でした。沿岸部では主に津波被害が多く、家もなにも流され更地となっていて、言葉にし難い光景がどこまでも続いていました。

それと比較して大熊や山間部は地震で崩れかけてはいますが、まだ建物自体はそのまま残っている場所が多くあります。しかし、放射能の影響でバリケードがされており、町のほぼ全域が入れなくなっていました。

震災から時間がたち家に帰れないという状況ですが、それぞれ異なる理由で帰れない場所となっていました。

予想外の批判

取材をしてきて、僕らは活動の支援をしてもらうために、クラウドファンディングに現地の実情を記事としてあげました。
内容としては大熊町の放射能被害のことや沿岸部の帰れなくなっている状況、前回最初に取材に行った時に聞いた話など、なるべく現地の人の熱量をそのまま伝えられるような記事を投稿しました。

するとその記事を読んだ方現地の方から思いもがけないご指摘のお言葉を頂きました。

「この記事は大熊町への風評被害じゃないか?」

僕らはすぐさま自分たちが書いた記事を読み返しました。すると確かにそう捉えようと思えばそう捉えることもできる内容でした。また、僕らの勉強不足で放射能の数字などの部分で事実と違ったところもありました。すぐさま僕らはその方へ誤解を招いたことを謝罪し、事実と違うところは訂正しました。その時に僕は思ったことがあります。

僕らが見てきた景色は本当に風評被害か? 風評ではなく実害じゃないのか?ということです。

たしかに、事実が違っていた部分は100%僕らに過失があり、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しかし、放射能の影響で実際現地に帰れない状況や、放射能の影響で家畜や作物がダメになってしまったことへの怒りなどは、自分たちが直接農家の方から聞いてきたことです。風評でなく紛れもない事実です。

現地の中のグラデーション

この時にまた気づいたことがあります。
同じ原発で起きた被害でも、その被害に対する怒りを人にぶつけたい人、あまり公にしたくない人、そんなことを考える余裕がない人など立場や考え方はさまざまだということです。

前回は被災地と外の人との間にギャップがあるという事が見えた取材でした。
今回は津波と放射能による被災の違い、また同じ被災した現地でも被災への思いや立場が違うなど、福島と言う一つの被災地の中でもグラデーションが存在するという当たり前のことに気付かされた取材でした。

寄り添えない

作品を作っていく中で僕たちが1番避けたいことがありました。それは被災者の方々を無意味に傷つけるということです。そのためには、一人一人の意見を取り入れ、一人一人に丁寧に寄り添う必要がありました。
そして、僕らのしたいことは被災地の方の想いを多くの人へ届け被災地とそうでない地域をつなぐことでした。しかし、被災地の想いを届けるときに、一人一人想いが違うという壁に当たったのです。

一人一人抱えてるバックボーンや想いが違う中僕らはなにを表現できるのか?

その答えは出ず、僕らには福島というものを扱うにはまだスキルが足りませんでした。そこで僕らは【福島】【被災地】【被災者】を表現することを諦めたのです。

自分から考える

壁に当たった僕らは企画破綻になる程追い込まれました。悩んでも答えが出ない9月の1週間を過ごした時に、ふっと急に諦めに近い感情が湧き上がったのです。しかしその諦めが悪い方に転ばず良い方に転んだのです。

福島や現地からの目線で作品を作るのは無理だ。
自分からまた福島を描こう。

あえて自分に引き寄せることによって違う景色が見えてきて、次第にまた手を動かすことができるようになってきました。このきっかけは確実に作品制作の転機となりました。

今回Part2では
現地と外の人とのギャップを可視化するという序章から福島からという視点ではなく自分から福島という視点で作品を描いていこうという転換点までを書いてきました。次回のPart3ではこの後の自分たちの視点について考えて行った内容を書いていこうと思うので、ぜひ楽しみにしていてください。
読んでくださりありがとうございました。

QoiQoi 吉次匠生


QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。

また、「想像力を創造する」をモットーに演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。



このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事を書いていくことを目指しています。
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