説明できない価値をつけるのがブランドへの道。
Voicy No.0077 2021年11月19日放送
お茶碗の値段と価値
俺の仕事はアドバイザー、プロデューサー、コンサルティングで、クライアントやお客様に「こういう方向で進みましょうか」と教えています。コテツゼミとかグルコンとか、こういうコテツラジオを聞いてくださっている方にも「こういうことをやりましょうよ」と言い、それがプロとしての生業になっています。
こういう人にヒントをお伝えする仕事として、なかなかさじ加減が難しいと思うのは、本質的な、本当にこれが重要なんだけどという話を解釈したり、かみ砕くのが難しいことです。
絶対外したらいけない本質的な話と、「誰でもできますよ」みたいな取って付けたようなノウハウとか、言葉を選ばず言うと、情報商材やYouTubeの「何とかの3つのポイント」みたいな気軽に理解できたような気にさせてしまうようなことと人様に何かをお伝えする仕事では、どっちを言うかというのがあります。
俺のスタイル・スタンス・哲学として、
本質的なところの話は絶対にしたいのです。
ハウツーとかレシピのように、「大さじ何杯で何分煮て、こういうふうに作れば絶対できる」という、見たら誰でも簡単に再現できますという話ではありません。けれども、もしブランドになりたかくて人として売れたいなら、商売をうまくいかせたい、ブランドになりたいと思っているのだったら、外さないほうがいい.。
地球の中心のマグマみたいな、見たことがないけれども重要な部分というのは、ちゃんと話したいと思っています。
それが今日のテーマです。
「説明できない価値をつけるのがブランドへの道」はハウツー話ではないので、今日の話を聞いたらご自身で解釈する時間を取って、安易に答えを求めずに、ご自身の中で、それをどうやって取り組もうかと考えてほしいのです。
ブランドとは何なんだというときに
俺も言葉としてはいろいろ説明しています。
ブランドとは「あなたじゃなきゃダメ」という
相対比較を超えてファンになっている状態です。
優劣の比較でほかに行ってしまう人というのは、ファンでもなければ、その時点でその人にとってはブランドではありません。相対比較と損得で、今回はこっちを買おうとか、増量中ならこっちを買おうというのは、普通の比較消費行動。
ですから比較消費行動を超えた形で関係している状態が、ファンの方とつくれている状況を持っていれば、関係値を持っていればそれがブランドだという話をするのです。
その最たるものというのは、皆さんが触れたことがあるかどうかは別として、日本人ならイメージがつくのが、お茶碗の価値や値段です。
茶碗は、まさにブランドそのものです。
釜があって、お茶碗を陶芸家が焼く。
湯飲み茶碗でもご飯茶碗でもどっちでもいいけれども、これは昔から日本で行われていて、『なんでも鑑定団』とかで見るように、ひいおじいちゃんが亡くなって倉の掃除をしていたら、布か紙に包まれた茶碗出てきた。
じいちゃんは骨董が好きだったので、これはめちゃくちゃ価値があるものじゃないかと『なんでも鑑定団』に持ち込まれて、よく鑑定をしているでしょう。
『なんでも鑑定団』 のように物の価値を鑑定するエンターテインメントが成り立つということは、そのファン以外、お茶碗は、普通に見ても価値がわからないからです。
これはまさにブランドそのもので、ほかの人からしてみたら、お茶をいれて飲むにしても、ご飯をついで食べるにしても、使い道としては全く大差ありません。
「釜に入れて焼いたときに、塗ったものがうまく溶けて、いい模様になっていますね」みたいな美術品・骨董品の説明があります。
それが陶芸家とか芸術家、お茶碗をつくった方が意図してやっているのか、それとも何でもないただの模様にしか見えないのかというのは、見る方によって違います。
お茶碗の価値とか値段は、ブランドの本質を表しているのです。
機能やスペックで、相対比較して価値が決まるものではありません。
例えば4000万円の茶碗があったときに、東京でも六本木のサントリー美術館とか、青山のほうにある根津美術館は日本美術のものをやることが多いので、俺は結構見に行くのです。そのときにもお茶碗が出ているんだよね。
俺は日本美術の専門家ではないので、正直「こういう価値なんだな」ぐらいの感じです。美しいなと思うものもあるし、うん?思うものもある。でも、おそらくアートの日本関連のものや日本美術の展覧会だと、数百万、数千万のものが置いてある。
ただ、それを機能とかスペックを相対比較するのは全く野暮です。「この茶碗、高いですね。グラム数を計らせてください」とか、「中にご飯がどれぐらい入るか、うちの茶碗より多いんですか、少ないんですか」みたいなことを言う人は、まあいません。
ブランドの本質と完全一致しているからです。
マーケティングとブランディング
マーケティングとブランディングの違いは
わからない人がほとんどです。
ほぼ全員商売をやっていても、マーケティングとブランディングというのがわからない。
マーケティングをやっていったら、その先にブランドができあがると思っている人もいますが、これは全く別物です。比較できる良さをアピールすることで興味とか最初に手に取ってもらうとか、見込み客の方に集まってもらうスピードと効率を上げようというのがマーケティングです。
ですから「配合量が何とかとか、増えたとか、何千人が使って何とかだった」はマーケティングです。相対比較できるもの、数値化できるものとかスペックをアピールするわけなので。それをやっている間は、マーケティングとして興味付けはできますが、ブランドにはなりません。
マーケティングが比較できる良さ、量的なこと、説明説得できることを推していって、興味のフックを掛けるマーケティングをやりながら、それでご購入いただいたり興味を持ってもらった方に、性能スペックで比較しきれない価値とか哲学をお伝えしていくのがブランドです。
比較できない意味合いとかセンスとか哲学で差を付けるのがブランディングです。お客様の声をいっぱい載せたらいいとか、今までの利用者数の数をアピールしようというのは完全にマーケティングですが、ここで俺は壁が1つあると思っているのです。今の感覚的な話が、わかる人とわからない人が出てきてしまうのです。
スタバとドトールの違い。
ワイングラスを売るときに、ワイングラスの造形が美しい、美しくない、好みだ、好みじゃないというのは感覚です。だからワイングラスの値段を決めるときに、ガラスの品質だけでは決まりません。
ワイングラスみたいなものを買うときに、ガラスの透明度を数値化されても困ってしまいます。
ワインを飲むときに気分が上がるか上がらないか、昔からつくっているところのものかどうか。でもそれをワイングラス自体の性能をいくら測ったところで、さっきの茶碗と一緒で、価格の裏付けの説明なんてないわけです。
ブランドはそもそも、
説明できない価値がいっぱい付いているからブランドです。
この辺の話が「わかるー、ピンときた。だから俺もビジネスをそういう方向でやろうかな」という人と、「それは何の話なの? 結局、良さをアピールするって何をアピールしたらいいの?」みたいなところに大きな分かれ道というか壁があって、これがブランドをつくれるか、つくれないかの違いと言ってもいい。
それぐらいの差があるのです。
スタバとドトールは、コーヒーが200円前後と400円前後と、普通のホットコーヒーが約倍違います。
スタバのほうがオシャレとかオシャレじゃないとか、スタバは紙のカップを買って、常連になると、サンキューとか、寒いけどお気を付けてとか、マジックでスマイルマークとともにメッセージを書いてくれます。
でも、それで値段が倍だというのは、機能的なことやスペック的なことを言えば、紙コップにニコちゃんマークとメッセージを書いたらコーヒーの価格が倍取れるのは、理屈としてはない。
これは接客スタンスの違いです。
接客スタンスの違いは、サードプレースという場所を売っているスタバと、コーヒーやパンを安価に、とにかく素早く出すようにしているドトールとの、ブランドとしての在り方の違いとしか言いようがない。
高級時計と美容院の価値
高級時計と1000円の時計の違いもそう。
時間はわかるから一緒じゃんという感覚も、もちろんあります。
こういうのは、男性よりは女性のほうがすごくつかめる方が多い。
男の人はあまりやりませんが、女の人は美容室に行って、トリートメントだけやったりするのです。髪をつやつやにするって。
男の人に結構多いのは、理容室とか美容室を用途として自分の中で解釈していることで、髪は伸びたら切るものだ。伸びたから短くするという、ビフォーアフターの結果を買いに行きます。
ただ女の人は美容室に行って、髪質を良くしてくれて、トリートメントしてつやつやになって、それで3000円~1万円を払ってしまうわけ。
これは価値としては何なのでしょうか。
あとは前髪だけ切ったりもします。
女の人の前髪のこだわりほど男の人がわからないものはないと思いますが、前髪を切るだけでお金を払うわけです。
でも、これは美しくなっている時間を買っているのです。
男性は、ビフォーアフターで「刈り上げのところが伸びてきたから、バリカンでいっちゃってください」と物理的に短くなったというのを購入している。
性別であえて言うと、男性の髪を切るところの使い方と、女の人のトリートメントの時間をそこでかけることによって、現実きれいにもなっているのでしょう。でもメンテンアンスをして美しさを保っているとか、もっと美しくなっているという自分が確認できることを買っているわけです。
これがわかるのが、ブランドづくりにおいて結構大きいと思います。
製品哲学を買っている
日本企業が家電や自動車を世界に売りまくっていた1970~1990年辺りは、車でいうと燃費がいいとか壊れにくいとか、機能とか性能を認められてどんどん売っていきました。
結局長く価値を認めてもらっている車というのは、もちろん燃費がいいとか故障しないというのもある。日本で乗り終えた車が発展途上国に行って、いまだ30年前のトヨタの車が現役だったりする。それはすごいことですが、フェラーリとかポルシェみたいに、乗って走る性能は、あまりほかと比べて変わらないわけです。
普通の公道を走る上においては300キロ出ようが250キロ出ようが、そのスピードで走れないわけだから、それが芸術品的な扱いで価値を保っているところはあります。
フェラーリとかポルシェを買う人は、ライフスタイルや人に威張れるから買っているのもあるし、ある種、哲学を買っているわけです。
こういう消費に変わっていったのがAppleが出したiPhoneです。
それまでは日本の携帯電話はグラム数を競っていました。
「さらに軽くなりました、小さくなりました」みたいに。
それがAppleのスティーブ・ジョブズが出てきて、製品の美しさとかを言い始めてしまった。だから哲学を売っている。
もちろん使いやすいのはあります。
任天堂も、あまり殺戮するようなゲームを出さなかったので、任天堂のゲームも商品を買ってもらっているけれども、家族で楽しめる平和なゲームというコンセプトがあって、哲学を買ってもらっているようなところがあるのです。バイオレンスではないという。
人という商品で考えたみたときに、よくある話だけど、アイドルで歌がうまいとか、うまくないとか、口パクだとか生歌だとか。でも、アイドルにしてもタレントにしても、人が商品になっていくときは、その人のドラマを応援していたりします。
ですからステージ上で披露されるパフォーマンスやエンターテインメントだけでない、そこまでの経緯とか、最近はめちゃくちゃ多い。
K-POPアイドルも、オーディション番組がすごく増えている。
これは歌がうまいとか、ダンスのコンテストで何点付くかを超えて、生き様自体とかここまでの歩みの中でのドラマをまとめて買ってもらう。これこそが「計れない計れない価値」ですよね。
「計れない価値」をどれだけファンの方と共有して、
そこを喜んでいただけるのがブランドです。
出だしに戻って、これってどうしたらいいんだいみたいな話になりますが、慌てて答えを求めないのも結構、本質にたどり着くのに重要です。説明できない価値を自分のブランドや商売に、ご自身が商品の方であればご自身に付けていくにはどうしたらいいか考えながら、この放送を繰り返し聞いていただければと思っております。
以上、久々野智小哲津でした。
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このコラムは、
コテツがVoicyの「ブランディングと商売の話」で語った
内容を文章化し加筆したものです。
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