見出し画像

ブラジル人画家イスマエル・ネリが“それでも”人物画をモチーフにし続けた理由(#49)

下の絵に描かれている人物が誰であるか、御存知な方は多いのではないでしょうか。
トレードマークであるざんぐり頭に丸眼鏡、鼻下のちょび髭で装ったのは御馴染み、藤田嗣治(レオナール・フジタ)です。

画像1

”教授”こと、作曲家坂本龍一の風貌はどこか藤田を彷彿とさせると感じるのは私だけでしょうか。
しかしながら、藤田の装いを再現できる人はそれだけで何かセンスのようなものを感じさせます。

閑話休題、この絵を描いた人物は藤田自身ではありません。
そのヒントは絵に向かって右上をみてください。
何やら文字があります。
ニューヨーク・ヤンキースのロゴのように折り重なった“I”と“N”の文字、これは画家のサインであり、藤田の自画像でないことを示すものです。
描いたのはイスマエル・ネリというブラジル人画家で、描かれたのは1930~1934年頃といわれています。

夭逝の画家、イスマエル・ネリ

画像2

self-portrait

イスマエル・ネリは1900年10月ブラジル・リオデジャネイロ生まれで、1934年6月に享年33歳でこの世を去った画家です。
彼の死因は結核で、1929年からは2年間サナトリウムで過ごしていました。
サナトリウムとはいわゆる感染症予防と療養のための隔離施設です。
その後、病状は回復するものの1933年に再発し、翌年に息を引き取ります。
元々はブラジル財務省の国家遺産管理局の建築部門で製図などの仕事に携わっていました。
主に人物画を描き、その画風は表現主義やキュビズム、シュルレアリスムの影響を受けたといわれています。
しかしながら、生前のイスマエルは画家として決して高い評価を得ていたわけではありませんでした。
彼の評価が高まったのは1960年、死後20年以上経ってからです。
つまり、死後再評価された画家のひとりなのです。

イスマエル・ネリの作品が世に知られるきっかけを与えた二人

では何故死後、彼は画家として再評価されたのでしょうか。
そのきっかけを与えたのは二人の詩人の存在でした。
ひとりが彼の友人でもあるムリロ・メンデス、そしてもうひとりが妻のアダルシア・ネリです。

メンデスは1920年代に頭角を現した詩人で、イスマエルから多くの影響を受けた一人でもあります。
1948年にブラジルの大手新聞のひとつオ=エスタ=デ=サンパウロ(O Estado de S. Paulo)紙へ連載の中でイスマエルの作品について触れたことにより、再びイスマエルに対する関心を集めることになりました。

画像2

Retrato de Murilo Mendes(1922)

そしてアダルシア・ネリです。
彼女はイスマエルとの死別後、1937年に『Poemas』という書籍の出版により、詩人としての評価を得、キャリアをスタートします。
同時に時代背景も相まって、ジャーナリストや政治家としても活躍したのでした。
そんな中、1959年に発表されたのが自伝的小説『A imaginaria』はブラジルでベストセラーになります。
物語の中では生前のイスマエルの悩みや関係、アダルシアの暴力的性向などについて描かれています。

画像3

Portrait of Adalgisa Nery


そうした社会の後ろ盾も得て、イスマエルは1960年代にようやく日の目をみたのでした。

少し脱線しますが、アダルシアの小説について考えたとき、日本で馴染みやすい小説を思い出しました。
2019年に上梓された著者小松成美による浜崎あゆみの自伝的小説『M 愛すべき人がいて』です。

ドラマ化もされ話題になりましたが、この本の帯にはこうありました。

「自分の身を滅ぼすほど、ひとりの男性を愛しました」

この言葉は浜崎さんが寄稿したものだそうですが、女性がかつて愛した男性について語るというテーマは、古今東西、神秘的な感じがします。
またそんな神秘的なテーマを“誰が語るか”によって、人々の関心がいっそう惹きつけられたのではないでしょうか。

イスマエルの名声は死後、彼と結び付きます。
生前は報われず、それは辛酸を嘗め続けたものでした。
しかしながら、確実に言えるのは彼は人に恵まれており、また人に恵まれるだけの素養があったことです。
そう考えると人生が報われたのどうかについて、あまり主観的にならない方がいいのかもしれません。

藤田嗣治との“接点”

ところで冒頭に登場した藤田の肖像画についてです。
イスマエルと藤田には接点があったのでしょうか。
こちらについては、ひとつのキーワードがあります。
それは「旅行」です。
イスマエルは1920年頃、ヨーロッパへ旅行します(主にフランスとイタリア)。
同時にこのとき、実際パリの美術学校へ入学するのでした。
その後一度ブラジルへ帰国し、1927年、再びパリへ戻ります。
このとき、ピカソ、ジョアン・ミロ、シャガールの作品に触れ、シャガールやシュルレアリスムの中心的存在アンドレ・ブルトンとは実際交流もあったそうです。

尚、イスマエルが渡欧した1920年代は第一次世界大戦後でにわかに平和が取り戻されつつあった時期でした。
日本でいえば“大正デモクラシー”の機運が高まりとともに、“大正ロマン”的雰囲気が醸成されつつあった時期もあります。
つまり文化的な交流や融和が生まれやすくもあったのです。

藤田にとってのフランスは1913年に初めて留学し、以後活動拠点のひとつとなりました。
ただし20年代にフランスでイスマエルとの接点があったかは定かではありませんが、1930年にアメリカ経由でパリへ行き、その後、1931年10月より中南米旅行を開始します。
その最初の訪問先がブラジルでした。
時期は1931年から1932年の間で、期間は4ヵ月間、ちょうどイスマエルの病状が回復した時期とも重なるので、ここで何らかの接点があったのかもしれません。

作品比較

最後に、作品を比較してみます。
尚、上にイスマエルの作品(数枚の場合は連続)、下に他の画家の作品といった並びです。

比較①:デ・キリコ&マグリット
肉体が人形のようにも組立部品のようにもみえ、そのため、むしろ精神面より身体の機能面が強調された感じがします。

画像4

Essencialismo(1931)

画像5

Desojo de Amor(1932)

画像6

Visao Interna

画像2

Composition

画像8

The Song of Love/Giorgio de Chirico(1914)

画像9


Hector and Andromache/Giorgio de Chirico 

画像5

Le viol /Magritte(1946)

比較②:シャガール
風合いが似ている気がします。
”Namorados”は恋人を意味し、シャガールにとっての「村」は故郷です。
共通点は「愛」、だから柔らかで明るい色合いなのかもしれません。

画像3

Namorados

画像4

I and the Village/Chagall(1911)

比較③:ピカソ
ピカソはキュビズムの代表格ですが、敢えて「青の時代」から選択しました。
イスマエルの上(A Familia)と下(Figuras em Azul)ではキュビズムっぽい変化が分かります。
また比較①と同じく、題名にある通り、Figuras=人形となったのかもしれません。
やはり外観、輪郭線がより強調な気がします。

画像6

A Familia

画像10

Figuras em Azul(1924)

画像5

La Vie/Picasso(1903)

比較④:マグリット&シャガール
”唇が重なり合う瞬間、口は一体になる”、そんな考えが読み取れます。
自分の口か、それとも相手の口かわからない瞬間、それはお互いに共有する瞬間があるようです。
また構図としてはマグリットの絵に近い気がしました。
マグリットの絵は顔を布で覆うことによって、人格を消失させているもののネクタイやワンピース(のような服地)で性別の想像がしやすいです。
対してイスマエルはマネキンのような外観により人格より性別を消失させています。
また服装も同様です。
ともにノースリーブを着用しているため、判別し難くはあります。
ただ強いて言えば背は低く小柄なので、向かって左側が女性のように思えます。

画像13

Namorados(1927)

画像7

Les amants/Magritte(1928)

画像12

Between darkness and light/Chagall(1938-43)

まとめ

作品比較では関係のありそうなものをランダムに抜粋しましたが、想像力を働かせると案外関係性は見つかるものだなと驚いています。

#47フリーダ・カーロの記事でも取り上げましたが、彼女が主に描いていたのは自画像だったようにイスマエルも主に描く対象は「人」でした。

またカーロにもイスマエルにも「病との戦い」という共通点がありました。
それはもしかしたら、自分も他人も含めた「ヒト」に注目していたのかもしれません。
自分に出来ない(あるいはない)何かを他人の中に見つけ出そうとしながら、そんな他人から評価を貰えずに苦められたとしても、きっと「ヒト」の可能性を信じ続けていた表れなのかもしれません。
だとしたら作品を比較しながら違いを見つけることとは、そうした彼らの生きていた時間を現代に蘇らせることではないでしょうか。

そう、それは夭逝の画家が死後、再評価されたように。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が参加している募集

#とは

57,726件

頂いたものは知識として還元したいので、アマゾンで書籍購入に費やすつもりです。😄