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日記

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柳流水の日記です。
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2022年2月の記事一覧

【日記】キッチンタベーラー

 家に帰って、カレーを煮込んで、作り置きしながらその場でも食べている。キッチンで、作ったものを食べるのは下品だろうか。お酒も飲んでいる。画としては、キッチンドランカーと言われてもおかしくない。しかし、キッチンドランカーの何が悪いのだろうか。料理は、できたその場が一番おいしいのは異論がないだろう。その場で食べるのが、一番料理のポテンシャルを引き出せるはずだ。下品でもなんでも、私は、作ったそばから食べ

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【日記】映画の雑感

 映画「エンダーのゲーム」を見た。オースン・スコット・カードの名前は、本作とともにSF小説史に不動の地位を占めている。しかし原作を読んだことがなく、気になっていた。評判になっていたのは、けっこう前、それも1900年代の後半頃だった。かなり遅れての映画化だったらしい。それらの事情も含めて、作品にどんな影響があるのか、見てみたいと思ったのだ。
 実際見てみたら、確かに、エンタメとしてしっかり出来ている

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【日記】手段

 文字を読むことについて、人が書店に入り、新聞やテレビの広告、あるいは既に読んだ本から連想される本を手に取り購入し、持って帰って読むという時代から、スマートフォンで探し、スマートフォンで読めるという時代に変わった。これによって、何かが変わった、いや変わっていないという議論が交わされたりする。本を読む内容自体は変わらないだろう、しかしそこから生まれる体験自体も変わらないと思う人は、鈍感なのではないか

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【日記】雑感

 小説を書かなければいけないのだが、まだ書き始められない。
 毎日書き進めるにはどうしたらいいのだろうか。ウクレレレッスン動画を流している人も、週一の二時間より毎日の十五分と言っていた。言われるまでもないが、かなり的を射た指摘を流している人だから、一聴の価値がある。
 キリンジを毎日掘っている。兄弟の関係を、邪推する。表向きは、それほどうまくいっていないという噂はない。実際にそうなのかもしれない。

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【日記】ソシュールを読め

 なにかを書くというのは、抽象化できるのだろうか、「書く」という行為だけ、取り出すことは出来るのだろうか。そのさい、スマホやパソコンで書くことと、紙に手書きで書くことは、区別されるのだろうか。高次においては、区別されないに違いない、もとより文字というのは、書き方によって内容を変えないものなのだから、だが、文字と文章と書くことにおいて、高次と低次という言葉を、あたかも数学やコンピュータサイエンスのよ

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【日記】多重録音

 パソコンを使って、ウクレレを二回、コードとメロディに分けて録音し、ごく簡単なミックスをするだけで、人には聞かせられないかもしれないが、自己満足するには充分な程度の演奏ができることに気づいて、何度か試している。
 一昨日は、スピッツのチェリーを、昨日はキリンジのアルカディアを録音した。どちらも、家に五時頃に帰って、七時には完成しており、二時間もかからずにできる。
 質はともかくこれほど手軽だと、い

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【日記】H駅

 今日は仕事の二日目だった。前の休みに、H駅まで写真を撮りに行った話はここに書いただろうか? 覚えていない。この表記に覚えがなかったから、たぶんまだ書いていないのだろう。読んでいる人は驚くかもしれないが、今まで自分がここに書いた内容を、ほとんど覚えていない。覚えていることもある。しかし、人間は、話題単位で、全体として並列して網羅するというようなことは不得意であるような気がする。絶対、どこかに抜けが

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【日記】ベルクソンとおいもグラフィー

 面白い連想。かつてあったインターネットラジオ番組「ポアロのあと何分あるの?」内のコーナー、ポアロBBSにおいて、イギリス超特急という、その番組専属みたいになってて番組の流れに噛んでもいるハガキ職人が送っていたラジオドラマの脚本みたいなシリーズがあって、「アストロ怪奇調査隊 ファッソリファイル」というのだが、X-ファイルのように、調査隊が都市伝説の正体を科学的に暴こうとして、結局超常的な力に圧倒さ

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【日記】最強の調味料

 全てを仕上げることのできる、それだけしか要らない、魔法の調味料みたいなものは、存在しない。
 しかし、それに類するものはいくつかある。
 一つは、白だし。卵と納豆の相性が、ものすごく良い。卵と納豆をかけたごはんに白だしを入れたものの味は、もう比類するものがない。
 もう一つは、ナンプラー。これは、『美味しんぼ』でも、同じような紹介をされていた。魚醤と言われる作成方法を取っている。魚のあらというか

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【日記】弦交換

 楽器屋に行って、嫁のギターと自分のウクレレの弦交換をしてきた。この間買った自分のギターは、あれからけっこうな頻度で練習しているけれどもまだ弦交換するには早い。買う時に、楽器屋で、弦交換は月に一度程度するものだ、と教わって、今まで買ってから一回しか、確かそうだ、もしかしたら一回もしていないかもしれない、数年前に買ってから、少なくとも一年は弦交換をしていないウクレレがあったので、まずはそれを交換しよ

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【日記】入浴

 雪はもう早朝にはほとんど溶けていた。しかし自転車で走れるほどではないと見えて、徒歩で出勤することになった。帰りの道が遠い。
 昨日と同じで大きい長靴で歩いて、足首が固まったような気がした。半ばはイメージで、半ばは実際に疲労が溜まっていたのだろう。家に帰って、念入りに温めることにした。
 年を取ったと実感するのは、この、身体を温めるということに、決定的な利点を感じるようになりはじめてからだ。ほんと

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【日記】雪

 雪が降った。明日も降るという予報がある。明日の日中には晴れるらしい。積もったらいやだなと思っていたけど、案外早くとけそうな気もする。人に会うと、雪が降ると言ったら、いやな顔をする、楽しみにしているような人もいるのを見て、不思議な感じがする、いい年をして、と思う人すらいる、幼少期の刷り込みの結果なのだろう、人それぞれ感じ方が違う。変わった天候を楽しむことができないくらい、余裕を失っているのだろうか

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【日記】二十世紀哲学と中世イスラム哲学

 カッコつけて「メモ うんぬんかんぬん」と打っていたけれども、アイディアだけあって肝心の更新が途絶えてしまったので、もうそんな風に書くことはやめた。
 思いついたそばから記事としてまとめていくことにした。
 今日、井筒俊彦の「イスラーム哲学の原像」を読んで、七割りがた読んだところだが、気まぐれに、今読んでいるベルクソンの「物質と記憶」と内容をすり合わせてみることにした。
 この相互の本は、哲学とい

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【日記】混乱する意識

 題名は大げさだが、大したことはない。井筒俊彦は、中世に勃興したイスラム神秘主義という、密教が異端だというなら異端とも呼べるかもしれないその団体というか精神と結びつく形で発展したイスラム哲学というものの分析の中で、存在一性論という立場について語り、この存在というのはあくまで存在としか呼ばないのであるが、紙一重で神と呼んでも差し支えないのだろう、それが前提というか、全ての存在の奥にあり、それが変化す

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