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【1000字書評】住井すゑ『橋のない川』② 恋愛と結婚であらわになる差別――個人的なことは政治的なこと

さて、2022年11月の書評講座の課題は、前回の『橋のない川』第1巻の続きの第2巻でした。

第1巻では、奈良県の被差別部落の村に暮らす兄弟、誠太郎と孝二の子ども時代が描かれていた。第2巻では、元号が大正に変わり、小学校を卒業した誠太郎は大阪の米問屋に丁稚奉公へ行く。成績優秀な弟の孝二は高等小学校へ進学し、副級長に選ばれるが、事あるごとに部落から通っているという事実が孝二の前に立ちふさがる。

そんな孝二には忘れられない思い出があった。かつて、ひそかに思いを寄せていた同級生のまちえが、そっと孝二の手を握ってくれたのだ。
まちえのことで頭がいっぱいになればなるほど、以前に読んだ島崎藤村の『破戒』が胸に重くのしかかってくる。部落出身である自分は、部落出身の相手としか結婚できないにちがいない……

1000字書評

『橋のない川』第2部で、孝二は高等小学校へ進学する。成績優秀な孝二は副級長に選ばれ、親友の貞夫や級長の恒太郎との友情を深めつつも、エッタであることが常に胸に重くのしかかっている。事あるごとに『破戒』が頭をよぎり、丁稚奉公先の大阪から帰ってきた兄の誠太郎の台詞を反芻する。「丑松の場合は作り話やから、お志保との間もあないにうまいことまとまるが、現実(ほんま)はちがう。」

同級生の杉本まちえを密かに想う孝二は、〝やっぱり兄やんも言うたように、丑松とお志保が結婚するのは作られた小説のなかだけのことで、現実の世の中には無いことなのやろか?〟と心のなかで問いかける。

2017年に出版された『結婚差別の社会学』では、「部落問題において差別が顕現するのは、結婚と就職のときであるといわれている」とあり、就職に関しては企業や行政の取り組みによって状況は大きく変化したが、「結婚差別問題は、私的な領域の問題」であるから難しく、いまだ課題は残されていると記している。いまでもなお、部落外出身者が部落出身者と結婚しようとすれば、親や親戚から激しく反対される事例もあると報告している。

結婚とは、恋愛感情というもっとも個人的なものを基盤とする「私的な領域」の問題のはずなのに、どうして親のみならず親戚といった世間から口出しされるのだろうか? そもそも、公的と私的は線をひいたり、切り離したりできるものなのだろうか?

孝二は煙草の収穫の手伝いに行った際に、貧乏な育ちの者には高級な葉巻の味がわからないことを教えられる。「趣味も嗜好も、その人の生活、その人の境遇からきまってくるんやで」と泉従兄さんは言う。

私的なものである嗜好も、生まれ育ちといった環境に大きく左右される。
私的な恋愛感情を基盤とする結びつきも「結婚」という形で公に認可され、嗜好品である煙草も政府によって管理されることからわかるように、公的と私的は切り離せるものではなく、複雑に絡みあっている。

孝二はまちえへの想いを通じて、差別というものを「広くて大きな世の中の仕組みにがっちり根ざしている」と理解するようになる。まちえの本心を知らされたとき、激しい後悔に襲われつつも「エタの自分が心でまちえを思うことは自由だ」と、エタである事実と正面から向き合おうとする。

〈個人的なことは政治的なこと〉であり、私的な感情こそが公的に異議申し立てを行う原動力になるのだと思い知らされる。

書評の補足

書評で引用した『結婚差別の社会学』(齋藤 直子(著)  勁草書房 2017年)はこちらです。

書評にも記したように、この本が出版されたのは2017年であり、『橋のない川』の舞台となっている明治末期~大正の頃から百年近く経っているにもかかわらず、いまもなお、部落出身者と部落外出身者が結婚しようとすると周囲から反対される事例があるという事実に驚かされ、奇妙な違和感を抱いた。

まず、なにに驚かされたかというと、言うまでもなく、この現在においてもまだ部落出身者と結婚することに反対する人がいるという事実である。
そして奇妙な違和感というのは、恋愛というきわめて私的なものが、結婚という形をとった途端、周囲の人に口出しされるものに変貌するのはどういうことなのだろうか? と、私的なものに〈お墨付き〉を与えて公的なものに変換する制度への違和感である。

「公的と私的は切り離せるものではなく、複雑に絡みあっている」と書評で指摘したが、もう少し整理すると、公的なものは隙あらば私的なものを利用して取りこもうとする、と考えた方が正解なのかもしれない。そしてまた、ごく私的なものだと考えていた自分の苦しみが、公的なものから生じる抑圧が原因であることもめずらしくない。
だからこそ、やはり〈個人的なことは政治的なこと〉なのだろう。

ちなみに、ご存じでしょうが、〈個人的なことは政治的なこと〉は私が思いついたことばでもなんでもなく、第2波フェミニズム運動におけるスローガンです。

映画『私のはなし 部落のはなし』

ところで、この『橋のない川』も何度か映画化されているようですが、最近では、映画『私のはなし 部落のはなし』がおすすめだと書評講座の受講生のかたから教えてもらいました。

公式サイトによると、「日本の〈差別〉を丸ごと見つめて学びほぐす」ドキュメンタリー映画とのことで、これはぜひ観たいと思ったのだけれど、もう上映終了したようで残念でした……

が、いまこの記事を書くにあたり、再度公式サイトを見たところ、先週から大阪のシネヌーヴォXで上映しているよう。
行きたい、でも今週は難しい……興味があるかたはこの機会にぜひどうぞ。



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