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生き延びるために逃げる女たち コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』から谷崎由衣『遠の眠りの』へ

先月の書評講座の課題は、谷崎由衣『遠の眠りの』でした。
作者である谷崎さんは、小説のほかにも、コルソン・ホワイトヘッド『地下鉄道』、ジェニファー・イーガン『ならず者がやってくる』などの翻訳家としても知られています。

この『遠の眠りの』は、作者の故郷の福井を舞台として、農家の娘である絵子が実家から追い出されるところからはじまる。

行き場のない絵子は、当時もっとも栄えていた人絹(じんけん)工場で女工として働くようになるが、とある事件をきっかけに女工すらもクビになり……
と、昭和初期から戦争に至る波乱に満ちた時代を、絵子と絵子のまわりの人々がどうやって生き抜いてきたのかを描いた物語である。

1000字書評

これは〈逃亡〉の物語である。

大正時代末期の福井、貧しい農家に生まれた絵子は、家のために働かされる母親と姉の姿を見て育つ。絵子は読書家であったが、女学校へ進むことはかなわず、「かあちゃんみたいになるんやったら、生きてても仕方ない……」と口走り、家から追い出される。

女工になった絵子は、人絹工場で働きながら考える。
母のような生き方を拒んだ自分は間違っていたのだろうか? 

すると女工仲間の吉田朝子が、間違っていないと断言する。朝子の給金の少なさに疑いを抱いた絵子は、帳簿を盗み見して不正に気づく。だが機場から追い出されてしまう。絵子は町へ向かい、福井初の百貨店である〈えびす屋〉に雇われる。給仕として働いていると、支配人の鍋川が立ちあげた少女歌劇団の脚本係に任命される……

絵子は家や人絹工場といった目の前の理不尽な現実を否定し、逃げていく。そんな絵子の姿は、作者が訳した『地下鉄道』のコーラと重なる。黒人奴隷として生まれたコーラは「地下鉄道」を通って逃亡し、奴隷狩り人に追われる身となる。

絵子はコーラのように明確に〈奴隷〉と定められていたわけではない。
しかし実際のところ、農家の娘、あるいは女工という身分は〈奴隷〉と変わりはない。『地下鉄道』の訳者あとがきで谷崎氏が書いているように、逃げることは「生き延びるために必要なこと」なのだ。

少女歌劇団で出会った清次郎と兄の清太の生きざまは、生き延びるための〈逃亡〉を体現している。祖国から追い出されたポーランド人の母親の血を受け継いだふたりは、ソ連やナチスドイツによる迫害から逃れてきた同胞を救う手引きをしていたのだ。

だが、追い出す側や追う側はこの現実を謳歌しているのだろうか? 
苦しい生活の果てに農本主義に入れこむ父親、えげつないと女工に揶揄される社長の桜井、『地下鉄道』で黒人を虐待する白人の貧しい移民たち、奴隷制を支持しているわけでもないのに、とりつかれたようにコーラを追い回す狩り人のリッジウェイ。追う側も理不尽な現実に押しつぶされ、歪められた存在であることがわかる。

だからこそ、現実とかけ離れた舞台の美しさがきわだっている。
物語を愛した絵子と演じることに魅了された清次郎、逃亡者であるふたりが舞台を作ることは運命の必然だった。その舞台は「はかなくて美しい、短い夢」となって魔法を生み、戦争というもっとも厳しい現実に直面したふたりのもとへ帰ってきたのだった。

家から、土地から、国から、生き延びるために逃げる人々

書評のとおり、『遠の眠りの』を読んでいると、どうしても『地下鉄道』が頭に浮かんでしまい、比較しながら読み進めていった。

絵子もコーラも逃げたくて逃げているわけではない。逃げないと生き延びることができないのだ。しかし、逃げた先でも安心することはできない。
『地下鉄道』のコーラは文字どおりの〈地下鉄道〉に乗って自由州を目指すが、そこでは奴隷狩り人のリッジウェイが待っていた。

だが、『地下鉄道』のおもしろさは、奴隷とされた黒人が自由を求めて逃亡するといった教条的な筋立てではなく、差別する側である白人を糾弾する勧善懲悪の要素でもない。

白人のなかにも、自らの命を懸けて黒人を逃がす者もいれば、貧しい移民である自分たちよりも、さらに下の存在として黒人を虐待する者もいる。
奴隷狩り人のリッジウェイは〈アメリカのために奴隷制を信奉している白人〉ではなく、アメリカも奴隷制もなにひとつ信奉せず、黒人の少年をお供にして、ただひたすらにコーラを追い回す。

一面的ではなく複雑な人間の描き方と、ときに息を呑むほど残酷な場面や派手なアクションに彩られた圧倒的なエンターテインメント性が、『地下鉄道』の魅力を形成している。

〈物語〉への畏れと憧憬

『遠の眠りの』の魅力のひとつも、奥行きのある人物造形にある。
書評にも記したとおり、絵子を追い出す父親や、人絹工場の社長である桜井もただの悪役として描かれてはいない。
吉田朝子のようにゆるぎない信念を持っている女性を登場させつつ、家父長制に従わざるを得ない母親や姉や妹の悲しみにも寄り添っている。

一方、『地下鉄道』が圧倒的なエンターテイメント性を誇る強い〈物語〉であるのとは対照的に、『遠の眠りの』には〈物語〉への畏れと憧憬がある。

幼いときから〈お話〉が好きだった絵子は、なりゆきで少女歌劇団の脚本を手がけることになる。
しかし、その劇が高く評価され、一夜にして成功を収める……とはならない。自分が逃げ出してきたものに苦しめられている女たちを描こうとしたものの、結局観客に伝わらないまま終わり、「お話でなかったものをお話にしてしまった」と絵子は後悔の念を抱く。〈物語〉にしてしまうことの恐ろしさを味わう。

こうしていったんは〈物語〉からも逃げた絵子だったが、少女歌劇団が解散して夢の時間が終わり、そして日本が戦争へ向かって歩き出したとき、再び絵子の前に舞台が蘇る。ひとつの再会を経て、〈物語〉が息を吹き返す。
あらゆるものから逃げてきた絵子が見た光景は……実際に本を読んで確認していただきたい。

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