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神宮外苑再開発にスワローズファンの声を〜ついでに神宮球場に愛を叫ぶ〜


いくつかの前提

初めて有料記事にしてみる

noteを始めて半年でもあったり、それなりの文量になってしまいそうだったり、社会的な話題でもあったり、個人的なこともそこそこ書いていたり、ということで有料にしてみています。noteもキャンペーンをして下さってタイミングも良く。お付き合いいただける方はお読み下さい。

筆者のスタンス

神宮外苑再開発に対して、筆者のスタンスは一にも二にもヤクルトスワローズファンであるという点にある。都民でもない。政治や経済に精通しているわけでもない。建築的な知見もない。ただただヤクルトスワローズファンなのである。

神宮外苑再開発について環境問題の側面で語られることには違和感しかない。もちろん環境問題を軽視しているわけではない。いわば都市公園である神宮外苑は、誕生の経緯や歴史的な側面が考慮されるにせよ、再開発がつきものの大都市の一部分に過ぎない。都市とは生き物であり、変化し、否応なく生まれ変わるものだ。なにも高尾山を削ってニュータウンを作ろうとするわけでも、東京湾を埋め立てて米軍基地を作るわけでもない。生まれ変わるためにやむを得ず木を切る。全世界の都市で日常的に行われている営みだ。あのイチョウ並木もそのままだし、生まれ変わった後の樹木の総量は今より増えるという。多少の痛みを伴うことは都市開発においては当たり前のことだろう。

このように環境問題として語られるには違和感があるし、政治や経済の側面で語るには知見が足りないけれど、「そこにあった思い出が消える」という文脈で神宮外苑再開発が批判される場合には、全面的に共感するものである。ここが私のアナザースカイ「神宮球場」なのだから。敬愛する村上春樹氏の神宮外苑再開発への反対は、この文脈上のものであると筆者は受け取っている。あの神宮球場がなくなることを悲しく思わないわけがない。おそらく近い未来に来るであろう現神宮球場最後の日。たぶん泣く。

とはいえ老朽化した球場もまた都市の再開発と同じように、いつか無くなるという運命には抗えない。そのようにして数々の球場が消えていった。後楽園球場も藤井寺球場も平和台球場も旧広島市民球場も。あのヤンキー・スタジアムだって建て替えられているのだ。甲子園球場やフェンウェイ・パークのように、開場からずっと生きながらえている球場の方が珍しいわけで、神宮球場にもついに、その時が来たというだけのことだ。

数々の思い出が詰まった現神宮球場が無くなってしまうのはつらいけれど、それはそれとして神宮外苑と神宮球場が生まれ変わることに対しては、期待もあるし、楽しみでもある。ただ感傷的に批判するのではなく、裏にある数々の大人の事情を掘り下げるわけでもなく、まして環境問題として捉えることなどせずに、現神宮球場の消滅を悲しみながらも、新たな神宮外苑と神宮球場の誕生を心待ちにしようというのが筆者のスタンスである。

スワローズファンの声も聞いてほしい

そんな神宮外苑再開発に対して、世間では環境的な観点、経済的な観点で語られることが多いような気はするけれど、野球ファン、スワローズファン、スポーツファンの目線で語られることが少ないように思う。どうやら神宮内苑の維持のために神宮外苑の収入が必要であり、持続的に神宮外苑から収入を得るためにも老朽化したスポーツ施設を建て替え、外苑を再開発するということが必要らしい。つまり、東京ヤクルトスワローズ球団とスワローズファンが内苑維持に少なからぬ貢献をしているということではないか。スワローズファンなくして神宮内苑は維持できないと言っても過言ではないだろう。

よってスワローズファンという立場で神宮外苑再開発について書こうじゃないか。ついでに神宮球場への愛を叫んでしまえ!というのが今回の主旨である。

神宮球場に愛を叫ぶ

私と神宮球場

再開発について書く前に長い前置きが必要だ。現神宮球場への愛を叫ばねば。おそらくスワローズファンは「スワローズが好き」ということの一つの大きな理由として「神宮球場が好き」ということがあるのではないだろうか。広い空。夕日。薄暮。夜空。風。月。あの空と空気を感じられる空間が好きなのだ。完全な人工物でありながら、自然の中にいるような、何か心を解放してくれるような空気が神宮球場にはある。だから、あの空間はスワローズファンの気質にも影響を与えているような気がする。スワローズはファミリーだ、スワローズファンは優しくて温かいという定説も神宮球場が創り出したもののように感じてしまう。

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