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愛の形について考えた

最近、仲良くなって20年以上の友人から、
「ぴゅーぽんて相当変わってるよね、クセつよや」
といい意味で言っているとしつこいくらいの前置きの後、言われました。

全然いい意味で捉えられなくて、内心「なぜ今それを私に伝えるのだろう」と少し混乱しました。
彼女は「私はそういうぴゅーぽんが好きなのだけど」とフォロー?の優しい言葉とともに、そのピリッとした言葉を私にくれたのです。
最近、目の前に起こることは必然で、その言葉の真意は何かをよく考えるようになったので、少し考えました。
(悪意はないのだろう、この言葉の真意は愛情表現?)
「え!どういうことー!」と笑いながら、まずはいい方に考えてみる。

彼女も私から見れば十分”クセつよ”な人間ではあるのですが・・
まあ、割と昔から皮肉って愛情を伝えるタイプではあるかもしれない。
正直受け止めきれないが、一旦今日のところは、その言葉を受け止めて帰りました。

帰ってから、遠くの親友に話してみる

帰ってから、やっぱり釈然としない思いが湧いてきて、(なんか人格否定にも感じた。)遠くに住んでいる親友にLINEで連絡してみました。

もっと詳しく、前後の文脈等をいれて説明したところ・・・
「完全に愛情表現。それは褒めています」との返信。

彼女は嘘をつかない人間なので、彼女が褒めているといえば、信じようと受け止められました。

愛のカタチ

親が子供を叱る時、それは次は失敗しないようにという思いや、外に行って恥をかかないようにといった、子供に対する愛情から起因していることが多いと思います。

今日も友人から聞いた、旦那が自分(友人)の運転中に横から「ウィンカー出すの遅い!」とか「良くみて」とか小言を言われてうざいって話も、旦那からすれば愛情なのでしょう。もしかしたら憂さ晴らしの場合もあるかもだけど、それはそれで奥さんへの甘えの愛。

社長の旦那さんが飲み会で帰りが遅くて、家族は裕福な暮らしはできるけれども、本当は寂しい思いをしている。でもそれは、旦那さんが家族に不自由のない生活をさせてやりたいという愛情から仕事を頑張ろうとしているという事。これも愛。

日常的に愛のメッセージのやり取りはなくても、美味しいご飯を家族に作ってあげるのは妻からの愛。快適に暮らせるように家を整えることも家族への愛。

私は、たまに実家に帰ると、母親からものすごい勢いでご近所の情報や、最近あった話を聞かされて、正直うんざりしていたのですが、「そうか、これは母の愛情表現か!」と気づいたら、イラつかずに話を聞けるようになりました。
うん、愛は沢山転がっている!

愛はしばしばすれ違うと思います。
愛のすれ違いが、ただの恋の終わりって話でなくて、家族の不仲とか、
親子の不仲を産んでいるんでしょう。
愛を純粋に交換し合えるのって、ほーんと恋人達くらいなのではないか。
旦那があーだこーだの愚痴も結局、寂しいの裏返しだよね?
親に昔あーされたこーされたも結局愛の形が、受け取る側には認識できなかったパターンがあると思う。
必ずそこに、きれいな形でなくても愛はある。

時には、相手が受け取りやすい愛の形にしないといかんな!とは思います。
独りよがりの愛じゃすれ違ってしまうから。

結論として

友人からの言葉も愛と思って受け止めようと思います。
自分が欲しい他人からの評価と実際もらえる他人からの評価が違うとがっくり来るけど、それも自分なんだよな。
そんな自分も愛してあげようと思います。





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