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【棚から1冊】いまユヴァル・ノア・ハラリ氏の「緊急提言パンデミック」を読んでみて

本日の1冊は、ハラリ氏のコロナ禍に対して著された「緊急提言パンデミック」です。出版されたのは昨年10月です。

元々のインタビューが2020年3月に行われた内容を書籍として出版するにあたって、序文を同年7月に記しています。そのなかで著者は、

私たちは2020年3月の時点よりも今のほうが、国際協力の必要性や、グローバルなリーダーシップの救い難いまでの欠如、民衆扇動家や独裁者の危険性、監視テクノロジーの脅威を、なおいっそう痛感している。

と述べている。


怖いのはウイルス、それとも…

非常に強く共感したのは以下の一文である。

私たちが直面している最大の危険はウイルスではなく、人類が内に抱えた魔物たち、すなわち、憎悪と強欲と無知だ。

まさしく、と思う。

ウイルスよりも人が怖いと思うことがあるのではなかろうか。

感染したことによって、その本人はおろか家族全員が住んでいた土地に住めなくなった、周囲の行為に耐えかねて。という話もあれば

みなが出勤しているので休めない、という同調圧力。

など枚挙に暇がない。

つまるところ人が怖いという話を見聞きすることが多い。


ポスト・コロナへ向けて

著者は今必要なのは、お互いの信頼と団結であるというが、

人々は科学の専門家を信頼し、国民は公的機関を信頼し、各国は互いを信頼する必要がある。この数年間、無責任な政治家たちが、科学や公的機関や国際協力に対する信頼を、故意に損なってきた。

と、為政者達へと手厳しい。

著者は、このコロナ禍からポスト・コロナにかけて危惧することとして、監視社会化を挙げている。

感染者数やクラスター、濃厚接触者などを調べるに当たっては個人の情報を知ることとなる。全体の行動を把握することは監視へと繋がることに他ならない。

しかし、ウイルス征圧のためには必要であっても、将来来るかもしれない第何波に備えて、とか新たな感染症に備えて、などとポスト・コロナの時代になったとしても、ウィズ・コロナの時に設けた監視社会の規制を緩めなければ、それは恐ろしいこととなると考えている。

長年、規制緩和がなされなかった例として、著者の祖国イスラエルでは、1948-49年の独立戦争の間に、プディング作りまで規制される緊急事態宣言が発出され、2011年まで撤廃されなかったというのだ。

人の尊厳として、プライバシーは必要であるが、大抵の人は、プライバシーと健康のどちらを選ぶかと問われると、健康を選ぶ。と氏はいうが、

たしかにいまはともかく禍を抑えるためには幾らかのプライバシーを擲ってでも強力するというフェーズに我々は立っていると思われる。

著者は、将来的に個人の生体情報をウェアラブル端末によって掌握される皮下監視社会になることへの危惧を述べている。

そうなるツールは社会に既に備わっているので、非現実的とは思えない恐ろしさがある。


求められぬリーダー

我々は今回の禍によって試されており、1人ひとりが、

陰謀論や利己的な政治家を信じるのではなく、科学的データや医療の専門家を信じるという選択をするべき

というが、

連日聴こえてくる報道では、利己的な政治家の動きが目立っているようであるし、都合よいところだけ専門家に丸投げしているのではないか、と思われる光景がみられている気がする。

強力な力を1人の人物に与えたら、そしてその人物が間違いを犯したら、取り返しのつかない事態を招きます。独裁者は大きな問題を孕んでいるのです。たしかに独裁は効率的です。独裁者は迅速に動けます。誰とも相談する必要がないからです。ところが彼らは間違いを犯すと、それを認めることはまずありません。隠します。メディアを支配下に置いていますから、隠蔽するのは簡単です。

この一節を読むと、国内や海外や中央や地方と、それぞれ人々によって想起する対象は異なるかも知れないが、妙にうなずきたくなるような、まさに身近に感じる内容ではないだろうか。

実はこの文章は2020年4月に行われたインタビューであるのでごく最近の言葉ではない。

しかしいままさに、現実との乖離がなく寧ろ激しさを増してすらいるようにも思えてならない。

さらに続きます。

その独裁者は別の手段を試すことなく、ひたすら同じ間違いを重ね、誰か他の人に責任を転嫁します。そうしておいて、さらに多くの権力を要求します。こうして、過ちがますます膨れ上がります。

どうでしょう。このようになってくるともはや禍は人災といえるでしょう。


我々はいかにすればよいのか

具体的に私たちに与えるガイドラインとして

国民が科学的な指針に従えば、緊急時の独裁的な措置を講じる必要性が大幅に減るので、これはとても重要です。

コロナの世界に対して、恐れを克服する方法として、

「科学に頼ること」

であると述べています。


おわりに

国内外を問わず特定の地域についての状況として記したつもりはありませんが、

あくまで私見として述べさせて戴きますと、我国としても多額の「血税」を用いて科学・医学的研究を精力的に行ってきております。

それがなんのためかといえば、まさに

今訪れし「有事」のためです。

ハラリ氏は本書で、とどのつまり、

科学を信じて行動することに尽きる。

ということを再三述べています。

あらゆる立場、業界、思惑などの状況を挙げてはキリがないのですが、まず我々がサバイブするために優先することは、科学的知見を共通認識として行動すること、そしてそれを一貫してブレずに導くことがリーダーには求められているのだと思います。

それが税金を賭して行わせた科学・医学研究からの成果の回収作業となります。

組織に属する人の少なくない方々は、どれだけウイルスを恐れていても、どれだけサイエンスを味方にしたくても、その知り得た知識を行動に結びつけられないジレンマに陥っている可能性があります。

おそらくそのような方は大勢います。

そこが直近の劇的な行動変容に繋がらない要因であると思います。

個人的な行動を結局はとれない、とりづらい、というシチュエーションにおいては、科学に依拠したリーダーの強い行動や発言が求められるのだろうと思います。

そうでなければ、日常をなかなか変えられません。

ということを考えさせられました。


皆様がどこを、誰を思い浮かべて読まれるか、

そしてその結果、辟易とした想いに駆られるかもしれませんが、サイエンスが我が身を助く、と信じ、せめて自衛を可能な限り講じてお過ごし頂きたいと願うばかりです。


おしまい




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