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旅行と日記の不思議な関係

前回の更新日が1月の12日だから、約一か月振りになる。こんなときは「久闊を叙す」というものらしいと敬愛する森見先生から教わった。


なかなかnoteを更新できなかった理由は、きっと今の生活に十分な満足感と適度なストレスがあって、差し迫り書くようなモノがなかったからだと思われる。

大学生最後の講義が終わり、テストとレポートという関門を通り抜けてしまった今、計画していた卒業旅行への高揚感とその費用を工面するための資金集めによる疲労感で毎日が猛スピードで過ぎていた。気が付けば2月も中盤に入る。その間、noteを見たのは2,3回くらいだった。


一方で、ときどきその時の流れの速さにハッとしてしまうことがある。どこかぽっかりと穴が開いてしまったような虚しさに襲われるのだ。

バイト先の先輩はすでにラストシフトを終え東京での卒業式を待たずに広島へと旅立った。同期の一人も3月でやめるという。残るのは4月からも大学院に居座る僕だけだ。

なんという空しさだろう。コレヘトの言葉が身に染みる。


明日から大阪旅行

久しぶりにnoteを書こうという気になったのは、明日からの旅行のためという他にない。というのも、僕は旅行に行ったときだけ日記が書けるようになるという不思議な能力を持っているのだ。


そもそも、僕は文章を書くのは好きだが日記をつけるのは非常に苦手なうえにどうしても続かないきらいがある。高校2年生の時に買った日記用のノートがいまだに3ページしか埋まっていないくらいだからどうしようもない。

それなのに、なぜだか日記というものに強いあこがれを抱いていて、隙あらば日記を書こうとノートを持ち歩いていたのである。ページをめくると消しゴムで消された痕が大量に残されている。

けれどいつまでたっても日記が書けなかったから、そのノートは机の一番下の引き出しの奥のほうに入れて封印してしまった。



変化が訪れたのは大学に入学してから。2年生の時、一度長野へ旅行に行く機会があった。

安曇野で高速を降り、善行寺を一巡りした後にそばを食べた一日目の夜の宿で、それまで全く書けなかった日記が急にスラスラ書けたのである。高速で前の車にぶつかりそうになった事。サービスエリアで中学の同級生に偶然会った事。善行寺から眺める信濃の山々の事。蕎麦屋においてある七味のほとんどが八幡屋磯五郎である事。

日記を書きながら一日目に起こった出来事がブワァーっと蘇ってきた。


それ以降、僕は旅行に行くと日記が書けるような体になっていた。普段は全く書けないのは相変わらずなのだが。



そんなわけで、明日から大阪旅行なのできっと日記が書けるだろう。そう思っていたらなんだかソワソワしてきて思わずnoteを書き始めてしまった具合である。

大阪は一度も行ったことがない。今回はUSJに行くのが目的だからあまり観光はできないかもしれないけど、花より団子、観光より遊園地な人だから全く問題ない。しいて言うならたこ焼きが食べたい。

何だか遠足の前日みたいだ。寝れる気がしない。

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