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YOUは何しに北朝鮮へ #9 Now We are in the history#2

 軍事境界線近くの集落の時計の針は、2000年になっても実はある時期から数周遅れの状態だったのではないか。

 汶山(ムンサン)への旅の間、博物館で古い8㎜フィルムの動画を見るようにくるくると古い映像がずっと流れている錯覚に陥った。そしてその1シーンに吸い込まれるような旅だった。

 2000年6月16日。京義線の汶山駅から軍事境界線の臨津閣までぼくは歩いた。

 2003年に京義線は再締結されることになるが、当時は汶山駅が終点で線路が途切れていた。軍事境界線ギリギリまで線路近くを歩く。約4キロくらいの距離、1時間もあれば歩けるだろうと見積もった。道は単純。駅前から統一路まで歩きぶつかったらあとはひたすら道なり。

 暑い。昨日始まった夏が本気を出してきた。炎天下の空の下歩いているのはぼくひとり。ガソリンスタンドにあった自販機でオレンジジュースを買いバス停のベンチに座って飲んだ。汗がだらだらと流れた。広い車線は4車線か6車線だったか。平日の昼間に走る車はほとんどない。

「バス停はどこかしら」。頭の上から上品な韓国語が聞こえた。ふり返ってはいけないと本能的に悟った。目の端に帽子と日傘、白い長いスカートの女性の姿が映った。40代か50代くらいだったろうか。一瞬口元のしわが見えた。バス停でバス停の場所を問う奇妙さ。時代がかった話し方と声色。そぐわない服装。この人はもしかするとこの世の人ではない。さっと暑さと汗は引いた。

「ぼ、ぼくは外国人なのでわかりません!」。叫ぶように言うとすたこらさっさと逃げた。「あら」という女性の声をぼくは聞いたか聞かなかったのか。

 知らぬ。

 今思えば彼女がこの奇妙な旅の案内人だったのかも知れない。彼女を振り切り歩いてから、時間の流れが少しずつおかしくなってきた。計算はすっかり狂い、歩けども歩けども目的の臨津閣は見えてこない。

 当時の京義線は打ち捨てられたような存在だった。1時間に1本。ディーゼルカーが走るが昼間など空気を運んでいるようなものだった。ソウル駅の端っこに居候のように止まっていた。

 沿線の駅舎は総じて古かった。手が加えられていないのだ。高層マンションの立ち並ぶ一山駅も同じだ。新都市と呼ばれる高層マンション群は戦時には有事の際の障壁となると聞いた。

 近年急速に京義線の沿線は開発が進んだが、2000年当時は戦争に備えて開発がほとんどされていなかったのだ。統一路の両端は畑や田んぼで、その畔もまた土が固められただけでコンクリートが使われていなかった。その田んぼの畔の向こうに線路の築堤が見えた。

 統一路から田んぼの向こうに集落が見えた。サインポールが見えるが回っていない。「理髪」(이발)と書かれている看板が見えた。店の名前はなくただ「理髪」。古びた椅子に座り熱いタオルを当てられ顔を剃られる自分を想像した。変わらず人の姿はない。

 軍人が鉄道工事をしていた。誰何されたので学生証を出す。「なぜ女子大に通っているのだ」と問われ「女子大の語学堂に私は通っているのでありますが、外国人なら男性でも通えるのであります」と説明したが若い兵士たちは信じてくれず、何度かのやり取りのあとパスポートを見せると、ようやく上官が「行け」と手を振ってくれた。京義線のトンネルが見えた。弾痕が見えた。

 臨津閣がようやく見えて来た。ここには小さな遊園地があり遊具がある。大型バスが何台も止められる駐車場はガラガラだ。行ける端っこまで行き、双眼鏡で北朝鮮の宣伝村を見た。

「家族がいるんだよ。あっちにね」。老人が北の方角を指ししわがれた声で話す。思った以上に臨津閣を訪れる人は少なく、ぼくがかわしたことばは少なかった。

 帰りは近くの集落から汶山駅までバスに乗ることにした。気が付けばもう夜の7時近い。夜はひたひたと迫って来ていたが支配するにはまだ時間がかかるようだ。時差はなく日本より西に位置する韓国の夏の日は長い。

 犬の吠える声。車が統一路を走る音がまばらに。時折聞こえるそれらの音以外には休符が続くように街はしんと静まり返っていた。耳を澄ましても、人が話す声もテレビの音も漏れ聞こえてこない。万屋は早々に電灯をつけ客を誘うが、果たしてどれだけの客が今日このあとこの店に寄るのだろう。

 取り残されていた。集落全体が。集落を歩く人はひとりもいない。Strangerであるぼくだけがカメラを首から下げ、興味津々の表情をして歩いている。取り残された理由は戦争。

 戦争があれば蹂躙される集落は開発されず残った。瓦屋根の家。煉瓦と白の漆喰で作られたバス停でバスを待つ。映画のポスターが貼ってあった。バスは来ない。このままではこの集落に取り込まれ戻れなくなる。この何もない集落で、時間の軸が狂ったこの集落で黄昏時のまま時間は過ぎ、カレンダーは何枚めくっても同じ日付を示し、ふいに現れる白い服の女性に道を聞かれ、昼下がりの理髪店で顔を剃り、またぐるぐると集落をあてもなくぼくは歩くことになる。歴史というフィルムに焼き付けられたひとりの登場人物として。

 ようやくバスがやって来るのが遠くから見えた。バスは白い服の女性も、理髪店も、土の畔の田んぼも全てをふり切るように駅に向かって走る。帰りの列車でぼくは、終点までこんこんと眠った。何かを取り戻すように、夢を逆回しで見るように眠った。

■ 北のHow to その32
 戦争に備えて開発が遅れたのが京義線沿線。ここ最近は急速にそれを取り戻すかのような開発が進み、電化され大増発されました。臨津閣はソウルからも近いですし、南側から軍事境界線を見ることをお勧めします。 

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