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映画との運命的な出会い

映画を観なくなった理由として、人生に映画が必要なくなったからと言っている人がいました。
現実的な設定から非現実的な設定も含めて、人間がそれを体験したときの感情や出来事にどう反応するか、だいたいのパターンを映画で知って、自分がどう生きていけばいいのか分かったらしいです。

まず考えたのは、映画を観る理由は1つではないということですね。
映画は観たいから観る、それ以外はないと思っていました。

映画が好き。
趣味は映画鑑賞。
好きな俳優さんが出演している。
良い映画だと人におすすめされた。
これらは全部、観たいに繋がります。

課題で映画を観た感想を書かなければいけない。
仕事のアイデアを得る為に。
話題についていけなくなるのが怖いから。
1日1本観なければその日を終われない体質になってしまった。
これらには、その先に得るモノがあります。
課題で良い評価をもらう為に。
良い仕事をする為に。
話が盛り上がって楽しむ為に。
その日を有意義に終える為に。
突き詰めていくと、観たいに繋がると思います。

観たいに繋がらない映画を観る理由。

それは、必要がなくなった時点で、映画から解放されたように観ることはなくなるという前提があるとき。

映画が、自転車の補助輪のような存在ですよね。
補助輪無しでも乗れるようになったら、補助輪は必要なくなります。
そして、自転車に乗れるようになった時点で、補助輪があると逆に邪魔ですよね。

補助輪を外す理由は、必要がなくなったからではなくて、邪魔になったから。

こう考えると、人生に映画が必要なくなったと言った人が、どんな風に映画を捉えていたか見えてきます。

必要だと思ったから観ていた。

映画を、便利な道具のように使っていた。

映画を観て自分の人生に少しでも潤いを与えようとしている人は、この先も映画を見続けますよね。
惰性で観る時期はあるかも知れませんが、人生を通して映画を観続けると思います。

人生のどこかで、もう必要ないと捨てられるくらいなら、出会いたくはなかった。
そう思われても仕方がないです。

今の時代は、映画との運命的な出会いを誰もが果たせます。
そこからはいろいろありながらも、末永く付き合っていく。
そんなスタンスが素敵だと思います。

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