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正しい≠正解ということ

みなさんこんにちは!Purzambyのごうです!

今回は、「正しさは効かなくなってくる」というテーマで話していきたいと思います。

それでは、レッツ、プザンビー!!(#なんやそれ)


正しさは正義か?

まず背景から話すと、今は科学の発展によって「論理的に考えて正しい」と結論付けられることがとても多くなってきました。

それと同様にして、多くの人が「答え」を知っているからこそ嘘がつけない世の中になってきていると思います。

突然ですが、こんな経験はありませんか?

例えば、先生が言ってることは正しいとは思う。だけどそれって本当に大切なことなのかな?

とか、組織の中の議論として、決定事項があり、それは正しいとは思う。だけど本当にそれは自分たちの心からやりたいと思えることなのか?

などなど。

私たち人間はもちろん論理的な部分もあるけど、感情的な部分も持ち合わせているから、正しさの暴力もあるし、これからも気をつけていく必要があると思います!


正しさは物差しとして機能しにくくなる

さっき話したように、「正しい」に対する疑念が生まれることが日常茶飯事になってきているからこそ、「正しい」が絶対的な物差しとして機能しなくなってくると思います。

そんな時だからこそ大切になってくるのは、その人はなぜそれを正しいとしていて、なぜそうしたいのかという「哲学」の部分になってくると思います。


哲学と倫理

なんか急にゴツい単語きたー!!と思ったそこのあなた。わかります。むずいですよね。

「正しいもの」ではなく、「その人が正しいとするもの」という方が効力は強くなっていくと思うので、後者の正しさをしっかり伝えるための準備として、「哲学と倫理」があると思います。

論理と感情に対する思考を行ったり来たりすることが重要だと思います。

グループで話し合っている時に、Aが良いと提案する時には、Aをするとこうなる(論理的な部分)、Aをすることによって人の感情がどういう状態からどういう状態になるのか(感情的な部分)、これは周りの人にこういう影響を与えるはず(倫理的な部分)みたいな感じで、その物事を多角的にみることが重要だなって思います。

ちょっと抽象的すぎたので、具体例を出しますね。

地域の商店街を盛り上げたいという人たちが集まっているとします。
高校生が簡単な出店を出店できるイベントを開催すれば盛り上がるんじゃないか。
高校生にとっては、お店を出すというなかなかない経験になるだろうし、地域の人からすると、その商店街に行く理由になりそう。
前高校生が出店を出店してみたいとワクワクしながら話してくれた。
でも、その道の周りが混雑してそこに住んでいる人に迷惑がかかるかもしれない。

っていう流れの中で、まず、なぜ商店街を盛り上げたいと思うのかであったり、なぜ盛り上げる方法が出店である必要があるのかなど、表面的な部分だけではなく、もっと根本的な中枢をみるように思考していくことが大切だよねって話です。

ちょっと説明難しかったですわ笑

でも言いたいことは伝わったかな??


さいごに

説明力不足の文章を最後まで読んでくれてありがとうございます。

まぁ何が言いたいかって「正しい=正解」という社会ではなくなってきているということです。

人と一緒に活動する上では、「みんなの正しさを持ち寄り、その組織の中での答えを出す」につきるかなと思います。

なにか皆さんにとって考えるきっかけになったら嬉しいです。

それではバイ〜〜!


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