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ぷるぷるパンク - 第10話❶

●2036 /06 /18 /02:10 /藤沢(芦原邸)

 サマージ襲撃大作戦は無事終了した。実際のところ、何を持って無事と言うのか分からないが、ぼくらの側は誰も死なず、かすり傷すらない。ぼくらの側は・・・。

 白檀の香りが、辺りに深く染み込んだ芦原邸のリビングルーム。
 提灯のような橙色の照明が淡すぎて、表情までを窺うことはできないけれど、双子はずっとなにやらぺちゃくちゃと喋くっていた。コの字ソファにどっぷりと体を投げ出し、おでこを突き合わせるようにして、まるで修学旅行の中学生だ(主にサウスが)。
 そういうぼくも、広くて柔らかいソファに体が落ちて行くような感覚に溺れ、枝から振り落とされた地面の毛虫みたいにうねうねとしている。身体中の筋肉が痛く縮こまって、体が休まらないのだ。
 そればかりか、目を閉じると暗視ヴィジョン越しに見えた特殊部隊員の緑色のシルエットが、ふと浮かんできそうになるから、目を閉じることが怖かった。
 双子がああしてじゃれ続けているのも、見たくない何かを見ないために身についた職業柄の習慣なのかもしれない。

 しばらくして、部屋のどこかにあるスピーカーを通してぼくらを呼ぶ芦原さんの声が聞こえても、誰もすぐに立ち上がる事ができなかった。

 もうしばらくして、ぼくらは双子を先頭にゆっくりと階段を降りる。ぐったりと重たい体を引き擦るように暗い無人のアパレルショップを通り抜ける。街灯の灯りがコンクリートの床にマネキンの呆けた影を落とす。サウスが什器にならんだTシャツに指先で触れながら歩くから、生地越しに木製のハンガーが擦れ合う音がからんからんとして、ちょっとだけケミカルな新品の服の匂いが漂う。
 雨はもうすっかり上がり、夜空には地球環がくっきりと輝いていた。
「雨が空の汚れを落としたんだ。」ぼくはそう言おうとして、口をつぐんだ。そんな個人の感想を二人に押し付けたって意味はない。冷たい金属のエレベーターを降りるいつもの順路をたどる間、誰も口を開かなかった。
 地下の研究室には昼も夜もなく、いつだって閉塞感を感じさせるが、今夜の研究室はいつもより大きく、深く、冷たく、暗く感じた。なんていうか、自分が遠くにいるような気分。
 しかし休んでいる暇はない。すぐにぼくらの次の今日が始まるのだ。

「じゃあ、座ってー。」部屋の奥から、場違いにテンションが高い芦原さんの声がした。よく寝れたのだろう、元気が有り余っているようで羨ましい。
 部屋の中央に設置された3つの接続ユニットの左端に腰をかけると、背もたれの中からモーター音がして、何やらぼくの背中を探っている。マッサージチェアのようなその動作があまりにもちょうどいい塩梅だったので、ずっと隠れていた睡魔が顔を出す。大きなあくびが出て、涙が視界を覆った。
「はい、眼を開けてー。」
 くたびれたグレーの大きすぎるスウェットのセットアップを引きずって芦原さんが歩いている。寝巻き姿が子供みたいで可愛らしい。彼女はまずノースの前で立ち止まった。

 ちょんと背伸びをした芦原さんは、手元の透明なジェル状の液体で満たされた金属のトレーから指先で何かを大事そうにつまむと、突然それをノースの目に突っ込んだ。ノースは突然のことに「痛いっ。」と叫んでのけぞり顔を背けた。
「ちゃんと眼を開けるー。」少しニヤついている芦原さんを、顎を引いたノースが困惑の目で睨みつける。
「コンタクトだよ。」芦原さんが笑う。
「もう。」ノースはようやくリラックスできたようで、眼を見開いて顔を前に出した。芦原さんが指先でそっとノースの瞳に触れる。何か特別な儀式を見ているようで心が静まる。

「これは、網膜ヴィジョン。apple製だよ。脳波スキャンはないから、操作には瞬きとかの物理アクションが必要だよ。これは職人さんに偽(にせ)の網膜を彫ってもらった特注品。高いよ〜。」ノースは眼をぱちくりさせてから、微笑んで、接続ユニットで横並びのサウスとぼくに振り返った。
 深緑の透き通った瞳孔が普段よりも少し明るくて、網膜ヴィジョンに刻まれた表面の凹凸が普段のノースの瞳孔よりも光を多めに反射するから、ぼくはその瞳に普段よりもさらに深く吸い込まれそうになる。
「これはPFC溶液が浸透しきっているから、アートマンになっても消滅しない。君たちの場合、サマージで網膜登録されちゃってるから新しい目が必要なの。IDにも連動させてあるから、トラックに乗る時と、奥越(おくえつ)のゲートで使ってね。」てきぱきと説明をしながら芦原さんはサウスの前で立ち止まった。サウスはすでに大きく眼を見開いて芦原さんを待っている。その仕草がやっぱり可愛らしくて、芦原さんは笑ってしまっている。

「はい、さっちゃんも。」眼を開くと口が開かなくなるシステムなのか、サウスは予想外に静かにしている。
 ただし、その肩がワクワクに揺れてしまっているのは隠せていない。一刻も早くノースとお揃いになりたいのだ。
「はい、さっちゃん、動かない。動くと痛いよー。」サウスは素早く無言で頷くとフリーズした。
「あ、痛くない!」ノースがしたように眼をぱちぱちさせると、サウスはノースとぼくがいる左右両方にすばやく顔を繰り返し向ける。新しい瞳を自慢したいんだろうけど、早すぎて見えない。
「さっちゃん、かわいい。」呟くようなノースの声が聞こえる。妹の瞳が可愛いのか、それとも彼女の仕草が可愛いのか、どちらにかかる「かわいい」なのだろう。

 例えば自分と同じ見た目の人間が目の前で謎のかわいい動きをしたら、ぼくは「かわいい」とは思わない。(自分って側から見るとこんなにキモいのか)と思うだろう。双子って不思議だ。
 ぼくは眼鏡を外して、芦原さんと向き合った。「あ、自分でやります。」

「九頭竜君のは普通の網膜ヴィジョン。みんな、ちゃんと毎日目薬すること。バッグに入れてあるからね。」芦原さんからトレーを受け取る。彼女はぼくの眼鏡を、トレーに浸された溶液の中に置いた。
「眼鏡もちょっとPFCに浸けておこう。浸透しきるかは分からないけど。コンタクトに度は入ってないからね。」
 実はぼく、生まれて初めてコンタクトを入れようとしている。親指と人差し指で押さえ瞼を上下に無理やり固定しているけど、どうしても入らない。
 ぼくが悪戦苦闘を繰り返しているとサウスが立ち上がって「さっちゃんが手伝うよ」なんて言って、ぼくの目に指を突っ込んできたから、思いっきりのけぞってしまった。結局サウスがぼくの瞼の上下を押さえ、芦原さんがどうにか突っ込むようにして右目のコンタクトがやっと入った。やだ、涙が止まらない。

 「よしよし」サウスがぼくの頭を撫でつける。大きくて優しい手のひらだ。
 同じようにして無事左目にもコンタクトが入った。ふと腰越漁港で泣きじゃくっていたサウスを思い出した。
「さっちゃん。」ぼくが呟くと、サウスが突然ぼくを抱き寄せた。
 近頃は、なんていうか、みんなそんなモードだ。小舟は涙を我慢してぼくの手を握った。ぼくらは特殊部隊を殺し、サウスはぼくの頬に雨に濡れた冷たい唇を当てた。そしてノースは慣れ親しんだ住処に微笑んで別れを告げた。
 そして今日ぼくらは芦原さんの元を巣立って行く。PFCスーツ越しにサウスのおっぱ、胸が当たって温かい。

「よしよしアラシカ。さっちゃんママみたい?」PFCスーツの微かな金木犀の香りと、鼻の奥に少しつまるような女の人の匂いがまじって、なんていうか、本当にお母さんみたいな匂いがする。懐かしいような気持ちでサウスに抱かれたまま、ぼくは息を深く吸い込んだ。

「さっちゃんはアワラがママだったらいいなって思ったの。」密着する体を通して、サウスの声の振動も伝わる。少し離れたところからノースの小さいため息も聞こえた。

 ぱんぱん、と芦原さんが手を打ち鳴らした。
「若者は隙を見せると、すぐに湿っぽくなるんだから。」その声に呼応するようにサウスはぼくから離れると、そのまま芦原さんを抱きしめた。「ママ。」喉に涙が引っかかったような涙声でサウスが芦原を強く抱きしめる。
 目の前に広がる光景としては、されるがままの背の低い芦原さんの方がやっぱり子供のようだ。芦原さんがサウスの背中に手をまわす。

「毎日目薬すること。」芦原さんは、接続ユニットに戻るサウスに背中を向けて涙を拭う仕草を誤魔化した。
「いいね?」
「はい!」サウスはいつも元気だ。「はい」ノースとぼくも連られて答えた。
 さあ、今からが次の今日だ。ちゃんと生きよう、ぼくは思う。

 コンタクトの右端が鼓動のようにゆっくりと光り、視界にアラームの時刻表示が現れた。出発の時間だ。

●2036 /06 /18 /04:20 /藤沢(芦原邸)

雨上がりの夜明けは、空気が透き通っているからPFCスーツ越しにも肌寒い。ハザードランプが点滅する車に寄りかかった姉ちゃんがぼくらを待っていた。親指で車を差してぼくらを車内に促す。

 なんか、かっこつけてるんだよな、最近。
 双子がいるから、自分の中の「お姉さん」成分が芽生えたのだろう。姉ちゃんはぼくといると、なんだかんだ言って男相手の言動をする。甘えたり、甘えさせたり。
 ぼくが無表情のままトランクを指さすと、姉ちゃんが照れたように笑いながら、リモートでトランクを開けた。かっこつけてやがって(『乗りな』じゃねえよ)と、僕は思う。

 玄関先まで引きずってきた重たい四つのヘルメットバッグのジップを開け、芦原さんにもらったスウェットのセットアップを取り出してから、一つずつバッグをトランクに放り込んだ。
(ぼくじゃなくてタコに運ばせればいいのに。)トランクに放り込まれたトラウマを思い出しながらぼくは思った。そういえば、タコの普段使いの方法を聞くのを忘れていた。

 その間にPFCスーツの上にだぶだぶのパーカーを着込んだサウスが助手席に座ってシートを倒している。そしてノースは後部座席の右側のシートに沈み込んだ。えー、なんか、ぼくの席、狭くない? もしかしてトランクの方が広かったりする?
 サウスに助手席の窓を開けさせ、ぼくは手のひらを何度か押すようなジェスチャーをしてシートを指さす。サウスがぶつぶつ文句を言いながら倒したシートを直している間に、ぼくはPFCスーツの上から芦原さんと色違いのスウェットパンツとパーカーを着込んで、何とかサウスの後ろの狭い座席に入りこんだ。

 しばらく車の外で芦原さんと話し込んでいた姉ちゃんが運転席に乗り込んだ。サウスと色違いのパーカーを着ているノースが、その袖口から少しだけ出た指先で自分の瞳に指を近づけて何かを囁く。しかし、その声はエンジン起動の電子音にかき消されてしまった。

「なに?」ぼくがノースに顔を近づけて聞き返すと、彼女は「コンタクト、大丈夫?」と、もう一度人差し指で右目を指して言った。暗がりの中、吐息がかかってしまうような距離を意識して、ぼくらはふと固まってしまう。突然、芦原さんがノース側の窓をノックしたので、ノースは珍しく大袈裟に慌てて振り返り、すぐに窓を開けた。

「ごめん、ID忘れてた。」芦原さんがノースにカードを渡す。
「気をつけてね。」と言った芦原さんの顔を無理矢理車内に引き込んで、ノースが芦原さんの頬に唇を当てた。
 ぼくの頬には、サウスの柔らくて冷たい唇と、硬くて冷たい鼻の先と、夜の雨の感触が蘇った。

「クズリュウの分だけど、アワラにあげる。」ノースが言うと、芦原さんはぽかんとすると、苦笑しながら「ありがと」と言った。
(クズリュウの分?)
 ぼくは工業地帯を見下ろすガスタンクのてっぺんで、ノースが言った事を思い出した。
(今日は我慢しな。)

「さあ、行こう。」と言って姉は車を出した。姉ちゃんは今日も自分で運転する。やっぱり、かっこつけている。
 サウスは窓を開けると、半身を大きく乗り出して芦原さんに大きく手を振り続ける。車が交差点の角を曲がって見えなくなるまで、ウィンカーの灯りに規則的に浮かび上がる芦原さんは、ポケットに手を突っ込んだまま、時間が止まったように仄暗い青の中にただ立ち尽くしてぼくらを見送っていた。

 車が角を曲がってしまうと、サウスが姉ちゃんに向き直って言った。
「ナルカ。地球(そら)の環(わ)きれいだね」姉ちゃんは声に出してふふっと笑ってから、そうだねと言った。車はバイパスに合流し、ほとんど車がいない明け方の道でスピードを上げる。

「私はね、人生ってさ、自分が主人公だと思って生きてきたんだ、結構、最近までずっとね。」
 姉ちゃんはサウスの頭に腕を伸ばして彼女の髪にそっと触れると、耳の後ろ辺りからうなじの辺りにかけてゆっくりと撫で付ける。静かな大型犬に催促された飼い主のように、そっとそっと撫で付ける。

「だけど、ほんとの主人公はあなたたちだったね。」
 サウスは遠くに見えた朝日に赤く染まる富士山を指した。

「まあそうだね、主人公はさっちゃんだね。」サウスは、彼女の頭を撫でる姉ちゃんの手の動きを止めないよう、その手の甲に自分の手を重ねて言った。
「必殺技があるからね。」

●2036 /06 /18 /05:48 /大井松田IC周辺のRTA物流拠点

 すっかり眠ってしまっている間に、この旅の最初の目的地でありスタート地点となる駐車場に到着していた。東名高速道路の大井松田ICにほど近い、深い森に覆われたエリア。そして、そんな場所に突如そびえる近代的な高層ビルと、その周辺に集まる研究室や公園、体育館などからなる謎の施設群はRTAの物流拠点らしかった。

 車を降りて体を伸ばすと、いつの間にか体の疲れがだいぶ抜けて、かなりすっきりとしていた。森の空気を肺いっぱいに吸い込む。朝露に濡れた緑の新鮮な匂いがした。
 昨日の雨で空の汚れが落ちたから、朝になっても地球環がくっきりと見える。予定の6時までは、まだ少し時間があったので山の空気を楽しみながら散歩をしていると、珍しく別々に歩く双子のそれぞれとすれ違った。それぞれ口数が少ないまま、それぞれの時間を過ごす、静かで冷んやりとした朝の時間。

 車のボンネットに寄りかかって地球環を通り過ぎて行く飛行機雲を眺めていると、サウスが少し離れた場所で「東亞合成(とうあごうせい)」のロゴが入ったコンテナを積んだトラックを見つけて戻ってきた。場所、時刻とも予定通り。

 トランクを開けてバッグを引き上げ、それぞれの肩にかける。ずっしりと重たいヘルメットバッグ、ぼくは男だから二つ分。
 バッグを抱えてそれぞれの座席に戻ると、姉ちゃんがトラックの後方までゆっくりと車を移動させた。何の変哲もない普通の4トントラックだ。
「大丈夫、ちゃんと自動運転のマークついてた。」サイドミラーを覗き込んでコンタクトを確認しながらサウスが言った。
 法律で強制されているわけではないが、運転手のいない自動運転の車はそのマークをつけるのが、物流業界のマナーみたいになっているらしかった。

 姉ちゃんが車を降りて、後ろからトラックに近づく。手を腰の後ろで握って、美術館で作品を吟味している(自称アート通の)批評家のように時間をかけてトラックの周りを一周すると、車で待機する僕らに向けて一度頷いた。それを確認したサウスが車を降りてトラックに駆け寄った。

 彼女はトラックの後ろで、バッグを地面にどさっと落とし、リヤドアにセンサーの位置を確認する。慣れた仕草で辺りを見回してからIDカードをセンサーに当て、そこに顔を近づける。網膜認証が済むと、センサーのLEDの光の点が緑に変わり、ロック解除に成功した。

 サウスは扉を少し開けると、背伸びをしてきょろきょろとその中を覗き込んだ。続けてリヤバンパーに足をかけてよじ登り、その狭い隙間からコンテナに素早く侵入する。見えなくなるとすぐに中から扉が大きく開いて、サウスが顔を出した。そして首を動かしてサマージの合図を送ってきた。

 ぼくとノースも素早く車を降りてトラックに駆け寄ると、サウスがコンテナの扉から伸ばす手に重いバッグを渡す。全てをサウスに渡し終えるとノースがサウスの手を取りコンテナによじ登った。最後にぼくがサウスの手を取り、勢いをつけてコンテナに上がった。
 トゥルクの寺院の線香のような懐かしい匂いが微かに漂っている。暗がりでぼくが荷物を移動させている間に、扉の狭い隙間からサウスとノースが姉ちゃんに別れを告げて、そのまま扉を閉めてしまった。
 
「あ。」
 ドアを振り返ると時すでに遅く、コンテナの中は闇に包まれた。見えなくなった姉ちゃんに向け(ありがとう)と心の中で礼を言う。元気で。

 瞬きでコンタクトの露出を調整して闇に目を慣らすと、コンテナの前方半分くらいには大きなカーボンの箱が天井あたりまで積み重なり、ベルトでしっかりと固定されていた。手前の半分の床には余ったベルトや養生の毛布が散らばっていた。
 6時きっかりにエンジン起動の電子音が微かに聞こえると、トラックがゆっくりと動き出した。ここまで全て予定通り。

 ぼくらは動き出したトラックに揺られ、バランスを失いつつも床に散らばった毛布を拾い集めて、それらを床に敷いて寝床を作った。横になると、毛布にはやっぱり線香の心地よい匂いが染み付いていたから、安堵に包まれたぼくは急に眠気に襲われて、すぐに眠りに落ちた。

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