中庸を目指して考え続ける
物事はどんなものも中庸が大事だ。
そんなことは誰しもがわかっているのだけれど、この件については大昔からあらゆる人が検討してきた。
特に哲学の分野においては、ほぼ全ての人が説いていると言っていい。
決断の要素
パスカルが何かを考えたり決定する際の要素として「幾何学の精神」と「繊細の精神」が必要だと説いている。
幾何学の精神とは
・理性
・論理で推論すること
・データを重視すること
繊細の精神とは
・感性
・感度いいアンテナを持つこと
・感情や直感を重視すること
であり、どちらか一方のみを使えば判断を誤ることは目に見えているだろう。
データで測れないこともあるし、自分の感覚だけでは実際のところがわからない。
自身の判断に自信がある人
(無自覚でも)どちらかに偏った考えを持っている人には、ハタから見ると危うくて信用できない印象を受ける。
色々な統計データを並べて「これが一番の最適解だ!」という人には人間味が感じられず大切なものを見落としている感じがする。
感性と直感で「これだ!」という人には独善的で自信過剰な、周囲がきちんと見えていない盲目さを感じる。
どちらも仮に過去の成功体験が多いのだとしても、自身の判断に穴がないか?と疑う精神は必要だろう。
考えることに意味がある
パスカルは「人間は考える葦である」という言葉でも有名だ。
どれほど善い人間であろうとしても、判断を間違えないようにしようとしても、心が揺らぐこともあればうまくいかないことの連続もあるのが人間である。
いくら中庸が大事だと言っても、あれもこれも大事と言っていては全部を取り入れるのは不可能である。
「葦」という弱い存在でありながら、人間がこうして尊厳ある存在なのは考えることができるからだ。
間違えても、そこから学んで次に活かせるからだ。
「これ」と自分が決めた方法に乗っ取って行動すれば、「人間は間違いを犯すものだ」と言って受容すれば、それはそれは楽だろう。
けれどそれでは何の進展も発展もない。
行動し、結果を受けてしっかりと考え、また別の方法を模索する。
そうして考え続けることにこそ意味がある。
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