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泣いて悲しむほどの関係が重要なのか?

自分が死んだら、泣いて悲しむ人はいるのか?

よくある問いだけど、「それほど強い想いを抱いてくれている人がたくさんいる方が幸せ」という解釈でいいのだろうか。

言葉どおりの意味で受け取ると、私には泣いて悲しむ人がひとりもいない気がしている。

泣くことではない

まず、自分なら誰が死んだら泣くかを考えていたのだが、思いついたのは母と兄だけだった。

恋人やパートナーがいればそれも含まれるが、現時点ではいない。

仮に友人の死を知ったところで、どんなに仲が良くても「泣く」という回路に入らない気がする。

つまり、私の感覚では家族レベルの人間でなければ泣いて悲しむことはない。

これを私が死んだ場合に当てはめると、同様に母と兄が当てはまるのだが、2人は私と違って泣くことをみっともないと思っている節があるのできっと泣かない。

泣かなくても大切に思っている

「死んだら泣いて悲しむか?」というのは、基準として曖昧で不確かだ。

人の心は目に見えない。

見た目には測れなくても、いなくなることで少しは人生に影響が出たり、心に穴が開く人は沢山いるはず。

それこそ、死んだ後のことなど分からないのだから、悲観的になる意味はないだろう。

そもそも泣いてほしくはない

ありきたりな結論だが、大切に思い合っていたのなら、死んだ時に泣いてほしいなんて思っていないはずだ。

笑って生きてほしいに決まっている。

喪失感で悲しいということはある。泣くことももちろんあるだろう。

しかし、それは残された側の心の整理の問題なのだ。先に逝く人間が気にすることではない。

自分が不安だからと、「悲しんでくれるかな」なんて考えるのは少々身勝手だ。

そんな暇があるなら、生きているうちに沢山関わって楽しい思い出を残した方がよい。

死後に悲しまれるだけでなく、思い出して一緒に過ごせてよかったと思えるような人生を生きることこそが、その不安を打ち消すだろう。

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