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優しい人って案外希少かもしれないからもっと誇ってほしい

優しくしない、利己的な人がいる。

私は利他的な行動が回り回って自分によい結果を齎すと思っているので、彼らを理解できない存在だと思っていた。

彼らは他人に優しくする余裕がないとか、優しくされてこなかった人なのだと思い込んでいたのだ。

しかし、それはどうも違うかもしれないと最近になって気づいた。

優先度の問題

彼らは特定の人に対して優しさを発揮できる。

社会的に他者と関わり、交流し、心を交わす相手を絞っているだけなのだ。

大切にする相手と適当に接する相手の線引きがどこにあるかの問題であって、優しくする能力がないわけではない。

ベースとして"優しい"人間を私は普通だと思っているが、ただの知人(あるいは赤の他人)に対してなぜそんな心配りをせねばならないのかと考える人もいると言うことだ。

彼らは人格が破綻していたり育ちが悪いわけではない。

ごく普通の家庭でごく普通に育った結果として、少々優しさに欠けているだけである。

縁の巡りへの信仰

自分が大事と言うのは分かる。

努力や思いやりが必ずしも報われるものではないのも知っている。

誰かのために行動するより、直接自分のためになることばかりに注力した方が確実なのは、たしかにそうなのだろう。

何も犯罪を犯しているわけではないし、彼らの行動が間違っているとは言わない。

ただ社会に巡る縁や運をどれほど信じているかの差であって、直接と間接のどちらに重きを置いているかの違いだ。

最低限、あるいはそれ以上に社会的に生きていて、優しさに欠ける人は多い。

もらえるものはもらうし、恩を仇で返すこともあるし、ワンチャン得できるなら、自分が悪くないなら他者が損をしようが気にかけない人たちだ。

優しい人でありたい

自分が当たり前にしている優しさは、普通以上なのかもしれないと思う。

優しくないことを責めることはできないけれど、もう少し他者のことを考えた行動が取れないのかなと思う場面が多い。

優しい人はもっと自分を誇っていい。

優しいほどに謙虚さや配慮が過ぎるので、私は心配なのだ。

優しくない人がたくさんいる中で、他者を思いやれる人はとても優れているし、それだけで存在価値がある。

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