影響を考えて情報発信する
SNSなど情報発信の場にいると、必然的に情報を受け取ることも増える。
ニュースなどの一方的な情報受信ならある程度取捨選択できるのだが、SNSは各個人の発信であるがゆえに欲しくない情報まで目にすることになる。
少し嫌な気持ちを抱いたので、今日はそれについて言及する。
① 見当違いな感想の発信
② SNS上でのギスギスしたやりとり
表現は自由だけど受け取るのも自由
まず①から。
ありがたいことに、私のnoteを読んで、それを感想とともにツイートしてくれる人がいる。
noteのコメント同様、読んでもらえたということが嬉しいし、それが誰かに伝わるということが嬉しいし、基本的には嫌な気持ちになるものではない。
私にアンチはいないが、それくらい敵意のあるものならそれはそれで対応のしようもあるというものだ。
しかし私が不快だったのは、半端に共感したような感想である。
「私のnoteを読んだとして、なぜURLを引用しながらそのような意見をいうのだ?」
と思うくらい、見当違いな感想を投げている。
題名だけ見て、内容を想像して意見を書いたのかもしれない。
何れにせよ、私の言っていることとは全く違った角度の感想だったので、その投稿を見た人が私のnoteの内容を勘違いしないだろうか?という危惧をした。
もちろん、私の表現が自由である以上、それを見た人がどう感じ、それをどう表現するかは自由である。
しかし、私の見えないところでやってほしい。
ということでそのアカウントをミュートすることで私は心の安寧を得た。
いちいち訂正するのも面倒だし、そんなところにエネルギーを割くくらいならこうしてnoteに書くことを選ぶ。
これでひとつ解決だ。
情報発信は目的にそって行う
次に②。
SNSで繋がっている人同士がギスギスしたやりとりをしていて、少し悲しい気持ちになった。
もしかしたら、当人たちはギスギスしているつもりはないかもしれない。淡々とした文字のやりとりはどうしても冷たい印象を受ける。
それでも、自分が交流のある人たちが不仲なように見えると、どうしても心に引っかかるものだ。
これに対する策だが、先述のとおり、私にアンチはいないので誰かと言い合いをすることはない。
これは私のSNSの運用方針が「発信内容を見た人への勇気づけ」を目的としていてマイナスなワードを使わないようにしていることが関係しているだろう。
偏った刺さるような発言もしないし、ちょっと嫌なことがあったってこちらのnoteで解決策を示すための事例として紹介する程度。
みんながこんな発信をしていればギスギスしないだろう。が、私のような人ばかりではないし、私がフォローして情報を見ていたい人たちは私とは全く違った人たちである。
なるべく過激で上下のムラがあるアカウントはフォローせず、本当の意味で好きな人だけの発信が見られるような仕組みを作るのが個人でできる対策だ。
受け手を意識した発信が必要
SNSという誰からも見られる発信手段を使う以上、その発言がどこまで影響を及ぼすのかをしっかり考えたいし、考えてほしい。
Twitterもnoteも、確かに自分の思いをただ垂れ流すだけの目的の人だっているだろう。それはそれで良い。
しかし、情報発信を目的としているアカウントは、そうした身勝手なことを言っていてはいけないと思うのである。
発信の際は受け手のことを考え、自分の発言に責任を持とう。
そして自分が何を発信したかったのかを、きちんと認識し直すこともきっと重要なことだ。
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