偉そうな顔をしたいなら偉くなるしかない
私は人生で数回「偉そうな態度だな」「馬鹿にしてるの?」といった言葉をかけられたことがある。(いずれも私とは馬が合わない人だったが)
当時は自覚がなかったしただ普通に話しているつもりだったので反論していたが、今考えなおすとあれはたしかに馬鹿にしていた。
話の流れを思い出すことで分かったのだが、そもそも彼らが(私ではない)人のことを馬鹿にした発言をしたから私がムッとしたのだ。
ひとつの側面だけを見て人を悪く言う人よりは私の方が偉いと思う。
偉いとは相対的なもの
そもそも、私の立場は「みんな対等で尊厳ある人間だ」というものだ。
だから正直、生きているだけで偉いと思っていて、偉業を成し遂げた偉人でなくともただ社会の一員として生きているだけで偉い。
※ここでいう「社会の一員」に深い意味はなく、働いていないから一員でないなどといった意味は含まない。
みんなフラットな中で「えらい!」という発言が出るのは、「その分野において相対的に偉い」からである。
例えば、毎朝早起きしようとしているAさんとBさんがいるとして、Aさんは毎朝きちんと起きる。Bさんは寝坊することもある。この状況なら誰もが「Bさんと比べるとAさんの方がえらい」と思うだろう。
時々でも早起きするだけで偉いのはもちろんとして、そのうえで「Aさんの方が」である。
身近な例を挙げたが、これは社会的地位なども同じで、相対的に偉いものは「偉い」。
偉いにも程度がある
学生時代に不良だった人が更生した場合に「悪い状態から普通になっただけでもてはやされるのはおかしい!」という論調がある。
それはごもっともなのだが、先ほどのとおり「偉い」は相対的なものである。
更生しないままの人間に比べて偉いのであって、一般的な人よりも偉いというわけではない。
周囲との差によって生まれる概念なので、逆にどんなに優秀でも環境によっては埋もれてしまう。
結局は何と比べるかだ。
ただ生きてるだけで十分に偉いんだから、悪い状態からの回帰のような程度の低い「偉い」を妬むことはない。
嫌われる「偉そうな態度」
「偉い」ならとてもポジティブな印象なのに「偉そうな態度」というと途端にマイナスイメージになる。
これはつまり、「偉くもないくせに偉そうな態度をとるな」ということであって、認めていない相手から上から話されるのが嫌なのだ。
最初の私の例に戻ると、
私は「人を悪く言う人より私の方が偉い」と思って”偉そうな”発言をするし、それを聞いた相手は「偉くもないくせに」と反発心を抱くのである。
きっと大尊敬している相手からたしなめられたら素直に聞くはずだ。
どうするかは自分次第
私は「偉そうだ」と非難されることに特に対して何かしようとは思わない。
何をどう評価するかはそれぞれだし、私は自分の取りたい態度を取り、相手も言いたいことを言うだろう。
もし「偉そう」から脱したいなら、誰もが認める「偉い人」になるのが早い。正確に言えば、あなたを認めない人が認めるような「偉い人」だ。
そこに価値があるのか?
意味があるのか?
自分で考えて行動しよう。
それができる人間は、偉い。
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