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レッテルに従う必要はない

自分がどんな人間か、説明することはできるだろうか。

「動物に例えると」「性格を一言で表すと」などありきたりな表現方法で問われることがあるが、そんな簡単に言い表すことができれば苦労しない。

簡潔に表現すればするほど重要な要素が漏れてしまうし、なにより人間は一定ではないのだ。

そんな端的な言葉で形容できるはずがない。

自分が思う姿と見えている姿の乖離

もちろん、個人がもつ性格というのはある。先天的なものもあれば、後天的に身につけたものもあるだろう。

また、他者から抱かれるイメージというのがある。

それは自分がそう見せようとしているものかもしれないし、勝手に作られた想像の姿かもしれない「自分がどんな人間か」を説明する際、自分目線なのか他人目線なのかによってまったく違った表現になるという人もいるのではないだろうか。

認められる自分でいる

承認欲求に縛られている人は、他者からのイメージに沿った自分であろうとする。

「いつも笑顔で素敵だね」なんて言われようものなら、その相手に対して悩んだり悲しんだりしている姿は見せまいと努力するだろう。

相手に失望されるのではないかと常に不安を抱いている。

その気持ちは誰もが持っているものだし、社会の中で生きるのに必要な感情だ。

しかし、度が過ぎると自分を見失ってしまう。

思うままに過ごす

イメージに沿った自分を演じる人は優しい。

少なくとも「私は私!」と周囲を気にせずに過ごしている人よりも思いやりがある。

他者の期待に応えようとか、迷惑をかけないようにしようとか、他者からの評価を気にして行動に移せるのは十分な才能である。誇っていい。

しかし、そこだけに価値があると思い込むのはとんだ間違いだ。

どんな選択をしようとも、自分が自分であることには変わりないし、他者からの評価が変わることは必ずしも悪いことばかりではない。

自分で自分を縛っていては幸福になれないだろう。

他者を気にする優しい君が、苦しむ道理はないのだ。

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