HSPとか括るつもりはない
いつからだろうか。
HSPやHSSといった分類が比較的一般に使われるようになったのは。
HSP(Highly Sensitive Person)はいわゆる「繊細すぎる人」のことで、ちょっとしたことが気になったり、影響を受けてしまう気質を指す。
5人に1人いるとされているから、そこまで希少性のある気質でもない。
HSS(High Sensation Seeking)は、HSPの中でも「外向性」「飽きっぽさ」「好奇心」を持ち合わせた気質で、人口の6%だというから少々の珍しさはある。
不安を取り除く要素にはなる
HSPの人は、人と違うと感じていながらその原因がわからず、病気や障害なのではないか?と疑って不安でいることが多いようだ。
そのため「HSP」という概念を知り、生まれながらの性質であると気づくことで安心する。
HSPに限らず、診断が下されて名称がつくことで安心する人というのは一定数いるらしい。
たしかに、一人で悩んでいたら堂々巡りで自分が悪い方向に考えてしまいがちだし、専門知識を持った第三者のお墨付きをもらえたら、そこに安堵する気持ちはわからないではない。
悪いことではない。
しかし、そもそもHSPだとか普通だとか、そうやって分けてしまうから多数派/少数派が生まれて、妙な気がかりになってしまうのではないのか。
自分の個性として対策をする
私はHSPの性質に当てはまっているな、と思う。
しかし、HSPであると公言するつもりもないし、だからどうしたと思っている。
もし言うとしたら、「繊細」「小さなことが気になる」「感傷的」とバラバラに自分を説明するだろう。
私は「HSP」というワードに出会う前から、自身の厄介な性質と付き合うために意図的に鈍感に生きるようにしていた。
自分を守るために、周りを見ない選択をしてきた。
見たいものだけを見てきた。
「HSP」がその一言で通じるくらい一般に普及すれば、本当は一番いいのだろう。
だけど関心のない(それこそHSPでない)人たちの方が多いし、現状ではHSP同士が「同じだ」と安心するためだけの言葉になってしまっている。
それがなんだか、歯がゆい。
自分の性質と向きあう
私は「HSPである」なんて言わないから、周囲を気にしない(そもそも見ない)態度が、他者から「逃げている」と表現されることがある。
私自身、逃げていると感じているからそれはいいのだが、「もっと正面から受け止めていろんなこと気にして生きなよ」と言われると、それは難しいなと思う。
自分の性質にあった行動を取っているだけなのだ。
きっとこれはどんな性質でも同じで、例えば短気な人がアンガーマネジメントにトライしていても同様のことが起きると思う。
対策のひとつとして「思ったことをすぐ口に出さない」を実践しているのに、「何考えてるかわからない、思うことは言えばいいじゃん」なんて言われるところを想像すると、もどかしい気持ちになる。
そのままの個性を自分で生きる
人の性格や性質なんて、全ては言葉で表し切ることができない。
自分でも自分のことをわからないまま、ずっと進んでいくだろう。
「○○だからこうすべき」とか、そういったことを考える必要はない。
もちろん、自分が納得して行動するならいいけれど、他者に言われて自分がしたくないことをするのは、それこそ周囲を気にしすぎだ。
良くも悪くも、自分は自分。
誰にも形容されない自分の人生を、謳歌してほしい。
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