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『モモ』 時間とは、生きるということ、そのもの
昨年末、
我が家に遊びに来てくれた友人が「最近『モモ』を読んだんだけど、色々経験したり学んだりしてきて大人になった今だからこそ理解できることがあって良かった」という感想を聞いた
研修オブザーブ中、先方社長が冒頭のご挨拶で『モモ』の内容を引用し、今期のテーマや目的をお話されていた
ふと、自宅の本棚を見たら『モモ』が置いてあった…!
ということが立て続けにあり、これはもう「読みなさい」とモモに呼ばれているのではないかと思って、年始に読みました。
実は小学生時代、読書感想文を書くために読んだ時以来の再読です。
コーチングやカウンセリングなど聴くことを生業にしている自分としてはモモの聴く力についてについても言及したいところだけど、今年特に取り組みたいと思っていることとの繋がりもあって、時間との向き合い方や過ごし方がとても印象に残っています。
時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。
でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。
けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていくのです。
かつての生活を思い返すと、自分の成長や仕事でのミッション達成のために本当に時間を惜しんでがんばっていた気がするし、家族やプライベートでの時間も侵食するようにして取り組んでいたような気もします。
家のことや生活や家族のことをほどほどに or 後回しにしてまた仕事に戻って、、、
そうやって仕事に取り組み、今日やるべきことが終わって「仕事やりきったー!」という感覚があっても、なぜか1日が終わるときに心残りがあるような気持ちになったものです。
それは時間をやりくりしたらできることだけれど、子どもや家族との時間、生活など日々の営み、たわいもない日々のこと、そんなことをケチケチ節約したことによって成り立っていたものなのだ、と。
「人のいのちは心を住みかとしている」
自分の心は達成や成長は味わえていたけれど、もっと他にも味わいたいことがあったんだろうなぁ、そしてそれは味わえていなかったのだろうなぁ。1日が終わる時の心残りはそれを教えてくれていたのだと思います。
心が何を望んでいるのかに丁寧に耳を傾け、そのどれも犠牲にすることなく過ごしていきたいなぁと思うのです。
そしてマイスター・ホラのこの言葉。
「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなければならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、自分でやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」
そう。人には誰にでも等しく1日24時間の時間があり、その時間をどう使うかは自分で決めることができる。そして、そのことは誰でも知っていることなのだけど、、、
テレビ、Youtube、SNSを見ていて気づいたら「こんなに時間が経っていた・・・!」と時間が溶けるようになくなっていったり、
「あれもやりたい、これもやらなきゃ」とあちこち行ったり、食べに出かけたり、遊んだり、詰め込んだ予定を消化することで1日の時間を終えたり、
前述のように、大切にしたいことや大切にしたいと思っている誰かのことを横に置いて、他のモノやコトのために時間を優先して使ったり。
時間の使い方に正解はないし、どの使い方が良いとか悪いとかもない。
ただ自分が、何に時間を使うのかは意図的になった方が良いし、それが自分の大切にしたいことのために使えていたらとても幸せだなと思っています。
「時間がない」、「ひまがない」ーこういうことばをわたしたちは毎日聞き、じぶんでも口にします。(中略)けれど、これほど足りなくなってしまった「時間」とは、いったいなになのでしょうか?機械的にはかることのできる時間が問題なのではありますまい。そうではなくて、人間の心のうちの時間、人間が人間らしく生きることを可能にする時間、そういう時間がわたしたちからだんだんと失われてきたようなのです。
"人間の心のうちの時間”
”人間が人間らしく生きることを可能にする時間”
私の中ではそれに近いと感じていることなのですが、今年やってみたいことは「丁寧なその日暮らし」。
「よけいなことはすっかりやめちまう」という灰色の男たちの価値観とは違う、毎日の足元のことに手間暇や時間をかける、じっくりたっぷり味わう、そんなことを意識に置きながら2025年は過ごしてみようと思っています。
灰色の男たちにあったら、今このnoteを書いている時間も無駄だと言われちゃうのかな。