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【noteお題】私の仕事(改定0419

1週間だけかと思っていたので、まだ続いていたので、驚いてまた今週も書きます。


とはいうものの、今日(18日)のお題が読書感想文なので、本読む時間がないので、昨日のお題で書きます。

私ほ自己紹介にもありますが、いまは勤め人です。仕事はWEB関係です。


最初の仕事

学生の時、イラストレーターか、音楽出版社に入ろうとか、考えましたが、調べて難題も多く、最終的にグラフィック・デザイナーに決めました。

普通、なろうと思ってもそう簡単になれる職業となれない職業がありますが、私は頭が悪いのか、最初の会社は学校推薦だったし、大手で、かなり有名で、今でもある企業で、家からも歩いていかれて、場所も近いし、ボーナスは出るし、10年いたら、米国のアトランタかシカゴにある支店みたいな場所に行かせてくれるとか言われたのですが、そこの人達はちょっとデリカシーがないというか、繊細でない感じもあるし、普通に考えたら、それで良かったのに。

どうしてもグラフィック・デザイナーをやりたくで、会社を辞めてしまったのです。それは怒られるというか、課長は半泣きでキレて、それで課長に悪いので友人に代わりに行ってもらう事にして貰いました。

その後、東京築地の広告会社、電通ではない会社で、関内にある支社で働きました。そこで、暫く広告デザインをやって、SP関係も全部できたので、社内でみんなに褒められて、それで、会社も上の人も辞めるので、縮小になるので、私もこの際、東京で働く事を考えました。


先端なデザインの仕事を求め

横浜でも良かったのですが、広告やデザインは横浜だと遅いというか、先端ではないということで、広告にはこだわらずに、デザインを生かす先端的な仕事・会社を探していたところ、中目黒にかなり先端的な企業があり、求人広告に、当時の流行の「インテリジェント・ビル」という、ビル全体が最新鋭な、会社に面接に行きました。

そこで私は高校時代にプログラムの授業で、ベーシックを使って簡単なゲームを作ったことがあるなど、本当は教師のテキストをタイプしただけなのですが、一応、あることは言っておこうと言ったらば、結構、試験の成績も良く、年齢とか、色々条件も合致し採用されました。

応募者数200名以上の中から選ばれたシンデレラガールでした。

落ちた人達の中にはCAもいました。(昔はスッチーと言いました)漢字のテストはトップで、課題のデザインも「元気があっていい!」という評価をいただき、合格しました。

実はこの会社は相当すごい会社だったのですが、それは今回は置いておいて、ここでデジタル関係の仕事、3D CGや、PCなどを使うような先端の仕事と出会います。

海外でもやってないような先端で、その上はNASAみたいな特殊な企業ぐらいしかないそうです。知っている人達はいると思いますが、日本のコンピュータ企業の優秀な技術者がいた場所でした。その会社に関連した、上の人達がNASAに行って、企業秘密を記憶だけで日本に持ち帰って、日本の研究に生かしたという、非常にアンタッチャブルな話も聞きました(このアンタッチャブルは1987年の映画『アンタッチャブル』のことです)

とは言いつつも、私の仕事は普通にデザインだったり、画像作成だったりで、そこには映画のような話もなく、地道にコツコツした作業がありました。しかし、その会社で色々なテクノロジーを見聞きして、今に至ることができました。

私の親戚も結構、頭のいい人達が多くいたので、子供の頃から技術系が好きで、ブライアン・メイの影響で天文学などの、難しい本を読んでいました。そのせいか難しい漢字も読めたり、興味の対象がテクノロジーと洋楽・ロックでしたので、採用された会社は私にあっていたと思います。

その後、その会社はなくなりますが、私たちが始めた会社もデジタルデザインの最先端で、カラーになったばかりのMacを使ってデザインをするとか、今でこそペーパーレスなんて多くの企業で取り入れていますが、私たちの会社は80年代の終わりからで、コピー機もありませんでした。

最初に言われたのが「これからデザインは全てデジタルでするようになる。ウチはデジタルだけでデザインをするデザイン会社を行う」という事をミッションと掲げ会社を始めます。

紙をなくすことで、アナログに頼らない、デジタルだけの仕事を確立しました。しかしデジタルデザインというものの説明は、当時はかなり大変で、なぜなら、他の会社との差というか、コンピューターならなんでもできるんじゃないか?など、荒唐無稽な事をいう人達だらけで消耗する日々でした。

私たちが社会にパソコンを浸透させる努力をメーカーに頼まれる事もなく行っていました。自分たちは社会に理解して貰えない上に、私もですが迫害を受けました。最初の会社が凄いと友人らはこれっぽちも知りませんし、CGとかパソコンを使うとか、デジタルでのデザインなんて、誰1人として良いと思ってないわけで、私なんて、友人らに物凄いバカにされました。(今でもそうかもしれません)

彼らがマトモに口をきいてくれるようになったのは、私が会社で使わなくなった中古のMacをあげたからで、その時だけです。感謝の言葉を聞いたのは。会社の規模や知名度で人を差別するのかよくわかりませんが、物をもらって感謝なんて現金な人だなというか、お金の国の人なので、差別は酷いし、金で決める国民性って思ったら仕方ないかもと思うのでした。

という事で、デジタルの仕事を爆進します。



インターネットとの出会い

1994年ぐらいに「今、米国の企業や大学の研究室で、こういうのが流行っている」とインターネットの前進を教えて貰いました。

MIT(マサチューセッツ工科大学)でやっているサイトのタグやソースが記載してあるFAX用紙を貰って、手打ちでHTMLでサイトを作りました。お陰で、かなり早い時期に民間でサイトを制作したわけです。しかも思いっきり趣味の事でした。

人間って恐ろしいもので、自分で「これすごいよねー」とか言いつつ、実際に周囲からすごいと声をかけられないと、妬みすらわからないのです。その妬みや、金儲けにする人達が集まり、私が作ったにも関わらず、周囲の目から見る「神」めいた金になるサイトに登場することを目指す人達とかの渦の中に入ってしまうのです。

サイトの掲示板に登場する、周囲に声をかけて貰うことが特別な人間だ!みたいな謎の風潮も生まれ、人間の欲というのは恐ろしいものです。

結局、そのため、これらは仕事になりませんでした。

とは言っても、その後はWEBの仕事とアナログのデザインを合わせた仕事をしたり、今までのやっていたことは無駄ではなかったというものになって良かったな思うしかありません。


という事でなんだかわかったような、わからないような、仕事の話を終わります。

明日は「#レベルアップしたいこと(お題ページは後日公開予定!)」だそうです。


#私の仕事


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