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映画『シド・バレット「ひとりぼっちの狂気」』を観て(2回目鑑賞&トークショウ)

5月18日(土)に映画『シド・バレット「ひとりぼっちの狂気」』を再び観てきました。今回の回もトークショウ付きだったので行ってきました!


“ピンク・フロイドを創った男”シド・バレットの素顔に迫る 映画『シド・バレット 独りぼっちの狂気』予告編
※"Bu-Bun"のボイパがSydで、高い声の野生の生き物がRogerです


前回、映画を見て、これまで幾つも点だったエピソードが、映画を2回見るという作業で、点が線になる事を進めるものでもありました。


前回の映像が綺麗で、何かあるようで、わからない。ヒプノシスが作る世界が広がり、果たしてこれがSyd Barrettなのか、Pink Floydなのはわかりますが、更なる探究の、そのヒントとして、映画後に行われたトークショウで話がきけました。

トークショウには立川 直樹氏とSUGIZO氏が登壇されました。

申し訳ないことに、あまりこのお二人のことを詳しく存じてなく、立川 直樹氏というとPink Floydのレコード解説に書かれていたり、勿論、Sydのソロアルバムにもお名前を拝見しますし、書籍にもお名前はあります。

SUGIZO氏は有名ですよね、洋楽ばかりの私でもお名前存じてます。Luna SeaX JapanThe Last Rockatersのギタリストの方ですね。どうみても詳しくないですが、名前は当然知ってますという状況でファンの皆様には申し訳ございません。

このお二人が、「ショウビズで生きていくには、正直すぎ」「嘘をつけない」とSydのことを申してまして、これが「答え」かなのかなと。

トークショウでは、このお二人もこのような仕事をしていると、色々な葛藤があり、とはいえ、自問自答しながら、時に嘘を自分について演じることで、あっち側に行かなかったんじゃないかと、「うんうん」となんとなく納得できる到達点に着地した気持ちになりました。

Syd Barrettはあまり外に話をする人ではなかった様で、実際に本人の話というものが、映画でもあまりなく、多くの人たちの証言で物語が淡々と進行していきます。

それが美しくもあり、静かで、神秘的に見えます。

英国ロックの重要人物のSyd Barrettを知ることは後々、面白い発見があると思います。多くの洋楽を耳しますが、Punk〜Post PunkNewWaveBrit Popなど影響があり、楽曲などのモチーフにしているものを多々発見できます。

さらにDavid Bowieが1973年の時点でSydの楽曲「See Emily Play」のカヴァーをBowieのアルバム『Pin Ups』で発表します。

この印税がSydの収入になっていたことのほかに、Sydの絵画も実はBowieが購入していたという話がトークショウでありました。(Bowieがライブを観ていたというのは初めて知りました)

David Gilmour - Arnold Layne feat. David Bowie (Remember That Night)

この映像は「Remember That Night」という2006年5月にロイヤルアルバートホールでのライブに、David Bowieがゲストで参加し、パフォーマンスしています。Syd Barrettは、2006年7月7日に亡くなっていますので、この頃はまだ存命中。

この映像は当時に見ました。こうして、今、映画を見た後、この映像を見ると、Bowieの頭の中にはSydの事がどこか脳裏にあったのかなとか、GilmourSydの状況を知っていたのかなとか色々考えてしまいます。

このコンサートは当時話題になりましたが、その後すぐに、Sydが亡くなり、ニュース配信からFloydのメンバーの誰もSydの葬儀に参列しなかった事が報道されました。理由はわかりませんが、ふと、お墓参りぐらいは誰か行ったのかな?など思ってしまいました。

映画では「お茶でもSydとすれば良かった」とGilmourは言ってますが、それも本心だと思いますし、当事者ではないとわからない事もあるかと思います。

思い出したことに、2003年に「The Pink Floyd and Syd Barrett Story」TVシリーズでのドキュメンタリーが放送されました。このドキュメンタリーを、Syd本人は見たそうで、「音が煩い」(=オヤジ?)と思っていたそうとか、映像の「See Emily Play」は再度見ていと妹さんの証言があります。

2003年には自分を客観的に見ることができていたのかと思うのと、メンバーの確認もしている事になります。

Syd関係の映像は色々見ました(筆者:現物)


前回も書きましたが、普段からサテンなどの光った生地の原色の服や、ペイズリーなどのアシッドなものなど、50年前と思えないポップなセンス。隠居後は映像も写真も見られなくなりますが、「おしゃれなロックスターのポップアイコン」としての60年代・Sydは最高だと思います。

ちょっとしたことからSydは孤独になります。原因は何だったのか。

当時のロックスターの問題であった薬物を使用していましたが、現在もステージで演奏しているバンドも沢山あります。立ち直るチャンスはSydにもありましたが、戻って音楽をする事が無意味に見えたのでしょうか。

1978年まではロンドンとケンブリッジを往復していたことからも、その頃までは音楽ビジネスを考えていたとすれば、破産したことが大きかったのかなと。

本人は音楽に対しての情熱は失われていく一方、実は様々なミュージシャンがSydのライブに行った証言もあり、Jimi Hendrix、Jim Morrison、Brian Jonesの様な最後となりませんでした。

トークショウではRolling StonesBrian Jonesの名前が出ていました。彼も初期のStonesのリーダーでした。ただ、Sydと違って曲は作っていないし、演奏もどうなのかという疑問があり、そのことからバンドを追い出されたので、Sydとは真逆の人生だと私は思います。


「幸せであったと思いたい」と映画でGilmourは語りました。

何もないで印税で食べていかれる財もあり、カッコいいルックス、20歳前半でガールフレンド3人以上のモテモテ男、溢れる才能、EMIとの契約、アビーロードスタジオでビートルズの隣でアルバムを録音。

ギターの演奏1つでも、ライターを手にし、弦にスライドさせて、異次元の音を弾いてみたり。Fender '62 Esquireのミラーがついたギターなんて、誰が見てもカッコいいのですが、当時としては、異端だったでしょうか?(Jimmy Pageもミラー付きのギターは真似しています)

「クレイジーダイアモンド」っていう言い方については、未だにこの煽りを使う編集者や宣伝マンがいます。これこそ、金に狂った亡者であり、狂った人達だと思います。懸賞金とかかけるわけですから、酷い話もありました。

2006年まで絵を描くなどし、故郷ケンブリッジにいました。Sydの父親もガンで早くに亡くなったとあり、遺伝もあるかななどと、普通の人にありそうな最後でした。

John Lennonが亡くなったのも知っていただろうし、ベルリンの壁がなくなり、パソコンが普及し、インターネットも知っていたのだろうか。

病気は最後は苦しかったのかもしれません。自分のドキュメンタリーを見るとか、ベッドの上で家族に囲まれて亡くなる人生というのは、ロックスターではないけれど、幸福だったのではと、私も思いたいです。





今回いくつかの音楽雑誌がSydのインタビューを掲載しています。


こうしたインタビューも私が見た書籍や雑誌には断片的なものが多く、どの程度、載っていたのかわかりませんが、ある程度のまとまった掲載している記事は興味あります。Sydが語ることをあまりなかったので、気にはなります。


映画『シド・バレット「ひとりぼっちの狂気」』は公開中です




次回予告ですが、ジョンとリアムの新譜からの現状を思いましたが、リアムは『『Definitely Maybe』デビュー作の30周年記念のツアーを行うそうです。

ジョンとリアムの新譜の記事どうしたいいんだろう?半分は書いたのにー

それと、この際なので、3回目の『シド・バレット「ひとりぼっちの狂気」』の映画鑑賞に突入し、Sydの楽曲ランキングをやろうかなーと。よく50曲とかやっているのあるじゃないですか、ああいう果てしないのとか。

再びメタル、英国ロックなどを書こうとか、さらに!Kula Shakerの『Natural Magick』のツアーは続いていますので、こちら重要案件ですので、どれかしらです。

この先もまだまだ続きます



最後にメンバーシップも始めています


ご清聴ありがとうございました!


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