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盤谷おきらく日記vol.2「カンチャナブリでキャンプ」

まだ若かりし頃、タイで就活をし実際に仕事を始めたときの生活を、過去の日記から紐解きます。前回の話はこちらからお読みください。

2004年11月27日の早朝7時、私は高校の先輩と一緒に韓国人の友達、クニョンのコンドー(コンドミニアム)に向かいました。なんでも、カンチャナブリでキャンプをするので私も連れてってくれるとのこと。

日本と関係のある町、カンチャナブリ

カンチャナブリはタイ西部に位置し、バンコクから約110km離れたところにありますが、映画『戦場にかける橋』の舞台となった場所です。バンコクからカンチャナブリに電車で向かうこの路線は「泰緬(たいめん)鉄道」と呼ばれ、太平洋戦争中にはタイとミャンマーを結んでいました。

この鉄道は第二次世界大戦中に旧日本軍が、タイとビルマ(現ミャンマー)を結び、 軍事物資などを運ぶために建設した鉄道です。建設過程の過酷な労働などにより大量の死者を出したことから「死の鉄道」とも呼ばれました。

これを題材にした小説や映画は多く、私はなかでも建設のために捕虜として従事させられたイギリス人将校と、真田広之が演じる、当時施設にいた日本人通訳・永瀬隆の姿を描く『レイルウェイ 運命の旅路』(原題:The Railway Man)という映画をBBC Oneの再放送で見たことがあります。

そのカンチャナブリへ、クニョンの赤いミニクーパーで向かうことになるのですが案の定、小型車のためものすごい振動と音が・・。かつ、彼の運転はタイ人化していてとても荒く、怖かったです。こんな状態で3時間ほども乗らなければならないのか?!と危惧していると、途中さらなる友人ポックとやらのお宅に到着しました。

ナコーンパトムで拝む世界一大きな仏塔

場所は、バンコクから西へ約55kmにあるナコーンパトムらへんのよう。これまた郊外型の立派な一軒家に住んでいるポックを紹介されましたが、クニョンもポックも先輩の同級生なので、つまりは全員私の先輩ということになります。自己紹介がお互い楽でよい・・。

その後ポックの車に乗り換え再出発しましたが、途中なんだか質素な建物に入り、ローカル感あふれるタイ人が突然車に乗りこんできました。頭髪の薄い、丸メガネをかけ、ひょろりとしたこのおじさんはいったい誰なんだろう・・と思っていると、ふと気づけばそこら一帯が、茶色の制服に身を包んだ警官だらけになっていました。

あれだけの数の警官がたむろしていると、むしろ暴走族かなにかのようで怖いです。ということで、どうやらこのジミーと名乗る男性は警官のよう。なぜ彼が来るのかはよくわかりませんでしたが・・。

いよいよ出発か?と思っていると、またもやグズグズしている。どうやらもうひとりを待っている様子でしたが、その“もうひとり”はなかなか現れず、クニョンなどは「あと1時間は寝れたじゃないか!」とお冠。私も「本当にそうだよ・・」と思うほど待ちぼうけをくらいました。さすがタイ人⁈

あまりにも遅いので、そこから歩いて行ける“世界一大きいパゴタ(東南アジアによく見られる先の尖った建物、寺のような仏塔)”を見に行きました。

昔の携帯写真なので、このシリーズではほとんどの画像が不鮮明です💦

たしかにデカかった!!

車に戻るとジミーさんがダニーという息子を連れてきており、 今度こそ本当に出発のようでした。

カレン族のお宅でキャンプファイアー

そのあとはかなりの間車に揺られ、ようやくたどり着いたところは周りになにもない山間部。どうやらジミーさんの実家のようですが、この家族はもともとかの有名な山岳民族、カレン族に由来しているというので軽い驚きでした。

まずは敷地にテントを皆で張って、夜は地面にゴザを敷き、お宅で作ってくれた?鍋に入ったカレーや魚の丸焼き、果物なんかの皿がたくさん並べられ、キャンプファイアーをしながら外で夕飯をとりました。

正直「お金持ちの人たちがこんな素朴な過ごし方をするんだ・・」と意外でしたが、静まり返った山々は紅葉し夜は肌寒いなど、常夏のタイにいながらそこはまるで秋のよう。ある意味、贅沢な避暑地だったのかもしれません。

食事のあとに皆ですることといえば、引き続き焚き火の周りでしゃべるだけですが、私と先輩、ポックの3人は持参したウイスキー1本では足りなくなり、途中で買出しまで行ったようです。このメンバーでいったいなにをそんなにしゃべっていたのか、いまとなっては謎です😅

とんでもない「軽い」トレッキング

翌朝は、外から聞こえる人の話声と寝袋(あとにも先にもない初体験)を敷いた地面の硬さで、案外早くに起きました。

ひととおり身支度を済ませて川の方を見ると、誰かがボートに乗って対岸に向かっていました。下を見るとジミーさん親子が。「君も向こう側へ行きたいかい?」と聞かれたので「はい」と答えると、なぜか「長袖と水を持ってきなさい」と言われました。

言われたとおりに準備をして対岸へ渡らせてもらいました。と、降り立った途端、私の足は脛のあたりまでズボっとはまり、そこは田んぼ状態の岸でした。

ヒィイ・・これ、先輩のお母さんが貸してくれたスニーカーなのにぃぃ!しかも真っ白で、「the best walking shoes!」とか言ってたのに・・もはや真っ黒!!

と、心の叫びも虚しく、一行はすでに山に向かって歩き出していました。

ちょっと待ってよ・・もしや、本格的に登るんですか?!えぇーー!

と、またしても心の叫びはここでも当然スルーされ、もはやついて行くしかほかに道はありませんでした。

ちょっとちょっとー・・かなり本格的なんですけど。 45分ぐらいの「軽い」トレッキング、と聞いていましたが?

結局頂上にたどり着いたのは、それから2時間半もたった頃。ほんの軽い気持ちでむしろ、ボートを楽しむぐらいのつもりで来たのに、下山してほかの皆がいるテントまで戻ったのが、まさかの昼近く。ジミーさん親子もそうでしたが、朝からなにも食べていません。ボートに乗るときに、ちょうど朝ご飯が用意されていたので3人とも食べそびれたのです。このときの私は枝に顔を引っかかれたようですが、久しぶりの本格的な「登山」に気合が入り、結果として満足したようです。

バンコクまでの帰路は、再び荒くれクニョンの運転で。 もう・・「命がいくつあっても足りないんじゃないか」ってほど怖い。下手で危ないのではなく、運転に「過剰な」自信を持っているが故の?危なさですが、怖いことには変わりがありません。もっとも、彼に言わせれば先輩やポックの運転の方が「目が悪いから」とかよくわからない理由で危ないのだそう・・。そんなこんなで、なんとか無事にバンコクまで戻ってきたのでした。

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