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一人で生きていけるけど・・・

Netflixで「大豆田とわ子と三人の元夫」の1話を観た。以前、全話オンタイムで見たことがあったが、大好きなSTUTSさんの曲を聴くと無性に大豆田とわ子が見たくなった。大学の試験期間真っ只中だが、我慢できずに1話を見終わってしまったところだ。

「大豆田とわ子と三人の元夫」というタイトルの通り、大豆田とわ子は3回結婚して3回離婚している。世間的に見たら大豆田とわ子のような人は変わっている。冒頭のラジオ体操が周りの人とことごとく合わないというシーンも、なんだかこの社会でのちょっとした生きづらさが描かれていると感じた。

そんなとわ子であるが、とわ子はまた新しい恋を探し続けている。私はどこか、とわ子に憧れてしまうのだ。とわ子はまっすぐで、仕事ができて、でも少しドジである。一人で生きていける、自分は強いと思ってるけどやっぱり誰かがいないと生きていけない。なんだか自分を見ているようだなあ、、一人で強く生きていきたいけどなかなかうまくいかないんだよな。結局いつも他の人に助けられているんだよな。


話は戻るが、網戸が外れるシーンが全体を通して何度も出てくる。網戸の問題は最終話まで描かれる。網戸が外れるたびに「もう一回恋しよう」と、とわ子は思うのだ。網戸を完璧に直してくれるのは三人の元夫でも、小鳥遊さんでもなかった。誰が網戸を直すのか。気になった方は最終話まで観ていただきたい。

このドラマの全体を通して魅力的なのは、3人の元夫がとわ子を肯定し、ずっととわ子が好きだ、最高だ!と思っていることだ。とわ子がたびたび起こすトラブルにもクスクス笑ったり、時には温かく見守っているのも最高である。

タイトルに「一人で生きていけるけど・・・」と書いたが、1話でのとわ子のセリフであり、そのことがドラマを通してのテーマの一つにもなっていると思う。この現代では、ひとりで生きる=寂しいというイメージがつきがちで、一人でいることに寂しさや劣等感、焦りを感じてしまうこともあるだろう。しかし、とわ子は次のような答えを出したのだ。

「ひとりでも生きていけるけど、まあ、寂しいじゃん。寂しいのは嫌だけど、でもそれで誰かと二人でいたって自分を好きになれなかったら結局ひとりだしさ。好きになれる自分と一緒にいたいし。ひとりでも幸せになれると思うんだよね」
「大豆田とわ子と三人の元夫」第9話より

誰かと一緒に生きる人を見るとなんだか全員が幸せそうだ。しかし、本当にそうなのだろうか。誰かと一緒にいる自分自身を好きでいれるかどうか、もしそういうひとがいなければ別にひとりで生きればいいのだ。ひとりで生きる自分を好きになれればひとりで生きる選択は全然アリだと思う。

最近、村田沙耶子さんの「地球星人」を読んだ。大人になったら働いて、子供を作って死んでいく’地球星人’たち(私たち)の常識を覆す衝撃的な物語だった。この社会(本のなかでは「工場」)が当たり前になっていることを疑ってみると、自分や社会の価値観の押し付けはそろそろやめようぜ〜とか思ったりする。この考えもどこかで押し付けになっているかもしれませんが、、
あくまでも一個人として思っていることを書いているだけなので気にしないでください笑

断片的な文章になってしまったなあ、、。文章が上手に書けるように暇を見つけて書き続けていきたいな。さて、試験勉強再開するとするか、、それでは。

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