見出し画像

ひとり暮らしがもうすぐ終わる。

私はひとり暮らしがそこそこ性に合っていたと思う。

10年以上シングルライフを送っているベテランからすれば、たかだか4年半のひとり暮らしで何を言う、と思われるかもしれない。
社会人になりひとり暮らしを始めたとき、周りからは「絶対に寂しくなるぞ」と言われた。

きっと怖い夜もあるに違いないと、楽しみ半分不安もあったのだけど、振り返ってみると、トイレに行けないような怖い夜もなかったし、一人の部屋は不思議と寂しくなかった。

というのも、ひとり暮らしは何をするのも自分なので、家に帰ってもそこそこ忙しく、余計なことを考える余裕がなかったのだと思う。仕事で疲れていても、自分が何もしなければ生活が前に進まない。
仕事と自炊生活を両立させると、帰宅してから夜眠るまで、朝起きてから出掛けるまでが本当にあっという間だ。

自分が心地よく過ごすために身の回りの掃除やお手入れをするのも、私には大切なことで苦ではなかった。

仕事の関係で、11月から一時的に実家に戻っている。まだひとり暮らしの部屋は借りていたが、ひとまずスーツケースを持って実家に帰った。
これまでも連休が取れたら実家には帰っていたのだけど、今回1ヶ月以上滞在して気づいたことがある。

朝早くに家族が朝食の準備を始め、がちゃがちゃと食器を出す音に、自然と目を覚ます。我が家はみんな家を出る時間帯がバラバラなので、各々その日食べたいものを用意する。誰かがコーヒーを煎れる匂いがする。その音と匂いに包まれて横たわっていると、なぜだかほっとした。そんな些細なことにほっとしたのは、私ひとりで迎える静かな朝の空気はそうではないという意味でもあった。

決して広いとは言えない空間をシェアするのは、性格と生活習慣がよっぽど合わないかぎり、お互いにストレスの溜まるものだと思う。既婚の先輩や、都会でルームシェアをしていた友人の話を聞いて、自分が他人との生活に辟易としている姿を想像した。容易に想像できた。おそらく自分が将来直面するであろう家事の分担問題など、考えるだけで気が滅入った。

私は内向的な部分があって(周りの人にこう言うとなかなか信じて貰えない)、一人の時間で自分のエネルギーをチャージしないと、外交ができなくなるタイプだ。一人で映画を見て、一人でごはんを食べる。本を読む。すり減ったゲージが少しずつチャージされて、また誰かと元気に過ごせるようになる。
それはこれからも変わらないと思う。

ただ、そんな私にもこの一年で少しずつ変化が起きた。

転職する前の会社の、最後に配属された職場のメンバーが、とにかく仲が良かった。上司も社員もアルバイトも、誰も萎縮することなく各々がパフォーマンスを発揮していた。みんな真剣に仕事をしていたので、時には衝突することもあった。

それでも休みの日には、自転車で県を越えるほど走ったり、夜中に誰かがLINEで飼ってる猫の写真をアップしたり、仕事終わりにバッティングセンターに行ったりした。振り返るとあんなに楽しく、全員がのびのびと仕事していた職場は他になかった。

一人で過ごす時間を確保するために、会社の人たちと一線を引いていたのが、少しずつ変わった一年だった。

そしてもうひとつの変化として、恋人ができた。

他人をほとんど招き入れることがなかった私の部屋に、彼が来るようになった。一緒にゲームをして、近所を散歩する。買い物に行き、ごはんを作り、一緒に食べる。彼が来る前はいつもの「私だけの部屋」なのに、いなくなると急に静かで寂しく感じた。

阿良々木くんが「友達ができると人間強度が下がる」と言っていたが、今ならよくわかる。

結局のところ、私は一人でいることに慣れていたのだと思う。
四年間の一人暮らしも、パートナーがいない期間も含めて、すっかり慣れてしまった。ひとりでいることの気楽さと身軽さと楽しさが心地よかった。

今でも私は、ひとりで食べるご飯をおいしいと思うし、ひとりで出掛ける気軽さが好きだ。その一方で、こう思うようになった。ひとりですることはすべて記憶になるけれど、一緒にやれば思い出になると。感動も不満も、心の中でつぶやけるだけつぶやいた後には口に出して確認したくなるものなのだ。


ひとりでいることの寂しさを避けるために結婚制度と家父長制の中に飛び込むのは、苦労の渦に突っ込むようなことだと感じる。結婚は解決策ではないように思えた。

仕事の合間に家族と一緒に過ごさなければならないことに息を詰まらせながら、自分が望む人生はこうではなかったと憂鬱そうにしている男性を何人も見てきた。結婚と家事労働、育児によって個人の生活を犠牲にしているのは、あなたよりあなたの妻の方だと思うよ、とは声に出して言えなかったけれど。 

子育てと仕事をかろうじて両立させている女性を見ていると、あんなふうに驚くべき集中力を発揮し、時間をこま切れに使いながら生きていけるだろうかと自信がなくなる。
彼女たちの夫の会社生活やプライベートな時間の方がはるかに余裕があるように見えるとなおさらだ。
いま独身でいてよかったと感じるのは、誰かの嫁として生きなくてもいいということだ。

親から愛される娘として、職業人であり自由な個人として生きてきた女性たちは、嫁という関係性の中に置かれた途端に、身分が突然、何段階か下がるらしい。何より恐ろしいのは、嫁の役目を自ら進んで一生懸命やってしまいそうな気質が私にも内在しているということだ。

結婚を考えているパートナーと同棲を始める自分が、こんなことを言うのは矛盾の極みだと思うが、その考えは今も変わらない。

自分の性格が結婚生活に合っているのか、あるいは、自分の望む生き方は本当に家族という枠の中で実現可能なのか、長らく考えてみたけれど、まだ分からないままだ。

私にとってこの同棲は、一番大好きな他人をよく知るためのステップであり、
私が「誰かの嫁」ではなく私のままで、対等にパートナーと人生を共にできるのか、確認するための挑戦でもある。

一人暮らしを始めたときのように、楽しみ半分不安半分だ。
もうすぐ私の一人暮らしは終わり、今春には人生で初めての共同生活が始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?