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プラプラ堂店主のひとりごと㉞

〜古い道具たちと、ときどきプラスチックのはなし〜

焦げたやかんのはなし

 家でお茶を入れる時は、月兎印のスリムポットを使っている。今の赤いポットは2代目で、最初のは、キャメルという茶色のポットだった。最初の茶色のポットは、母が焦がして中まで真っ黒にしてしまい泣く泣く手放した。そう、母は鍋を焦がす名人だったのだ。実家の鍋はだいたい黒い。まあ、なんとか使える状態だったりするけど、ダメにした鍋も相当あるはず。こんなことを思い出したのは、焦げた笛吹きケトルを見つけたからだ。半円形のケトルで、取手と蓋の持ち手は黄土色(本当は黄色だったのだろうと思う)。形はかわいらしい。でも、ケトルの下半分はやっぱり焦げて黒くなっている。

 近所に新しくできた珈琲店の豆を買ってきたので、さっそく飲んでみようとお湯を沸かしながら、台所を片付けていた時。戸棚の奥のそのケトルを見つけた。幸い、中は焦げていなかった。

(使ってみようかな)

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 ふと手を伸ばしてみる。なんとなくケトルの声を聞きたくなかったので、急いでさっと洗って、火にかけた。久しぶりに水をためたケトルは、息を吹き返したように見えた。ガスの火を受け止めて熱をためている。やがて、ピィーーーーッと音がした。

<沸騰しましたよーーーー!!!>

そんなことを大声で叫んでいるみたいだ。嬉々として。大声で。ぼくはすぐに火を止めた。豆を挽いて、ゆっくり珈琲を入れた。美味しい。

 それにしても。こんな大きな音で気がつかないでいられるとは。ぼくはふっと笑いそうになる。母は本を読むのが好きで、夢中になると何も聞こえなくなっていたっけ。ハッと気がついて、慌てていろんな失敗をしている姿を思い出した。そんな時、母はいつも大笑いしていた。『またやっちゃったぁ!アッハッハ!』あの笑い声。こどもみたいな笑顔。

 どうしてだろう。長いこと母の泣いている暗い顔ばかり思い出していた。母が生きていた頃、その顔を見るのが辛かった。(ぼくがやらなくちゃ)(ぼくのせいだ)いつもどこかでそう思っていた。でも、母はぼくにそうして欲しかったのだろうか。もしそうだったとしても、ぼくは自分で自分をがんじがらめにしていたんだ。そうして、母をさけるようになってしまった…。ぼくはいつのまにか遠い記憶の中にいた。ふと気がついて、珈琲を飲む。冷めてしまった珈琲は苦かった。

 思いがけず、ケトルが大事なことを教えてくれた。また、ときどき使おう。もう一度ちゃんと洗うと、少しだけ焦げもとれてきれいになった。

「あ〜さっぱりしたぁ。ありがとね!久しぶりにお腹からピーッってやると元気が出るわ。あっはっは!!」

ケトルの声はかん高く、あっけらかんとしている。笑い声が母と重なった。

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