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アセクシャルの私

「好きな人、いないの?」

この問いに、いつも答えを詰まらせる。


女子大生の話となれば、大体が恋バナで盛り上がる。

私は現在21歳、彼氏いない歴=年齢。サークルに所属しないノンサー。誰かや組織に所属することが大嫌いな、自由を愛する人である。


友人と会話するとき、どっかのタイミングで必ず恋愛の話が持ち上がる。私は彼氏もいなければ、好きな人もいないので、必ずその時は聞き役に徹する。むしろ、申し訳ないとさえ思っている。私に好きな人や彼氏がいれば、話を盛り上げることができるのに、ネタがなくてごめんね、と。


私は人を、「人」としか思えない。もっと強い言葉で言ってしまえば、「性別」を強調されると、気持ち悪いと思ってしまうのだ。

例えば、自分が、異性や同性問わず、誰かから恋人らしい振る舞い(キスやらセックスやら)をされることを想像するだけで、気持ち悪いのである。ドラマで見る分には特に問題なしだが(フィクションだと分かっているからだと思う)、いざ自分のこととなると、気持ち悪いと感じてしまう。

お分かりの通り、誰に対しても性的欲求を持たない。だから、人を人としか判断しないし、そこに「性別」を強調されてしまうと、ウッとなってしまう。


私は女性だが、私一個人ではなく、まず「女性」として見られることに対しても嫌悪感を抱く。私が性的にみられること、これが大嫌いだ。特に、恋愛の話で、彼氏がいたことはないと話せば、「あぁ~処女なのね」という無言の了解を得られること、そういう目でみられること、これに物凄い嫌悪感を抱く。あまりにもイヤなので、最近は「彼氏はいたことがあるけど、今はいない」とウソをついている。


人に対して性的魅力を感じないこと、これをアセクシャルと言うらしい。今は多様なLGBTが認められ、アセクシャルというセクシュアリティがあるとカテゴリー化してくれていて、ありがたい世の中である。


多分、私はこのアセクシャルだ。アセクシャルというと、なんだか冷たい人間みたいだが、性的欲求を持たないだけで、人を大切にする心はあるし、情はある。「この人好きだな」と思う気持ちはあるが、恋愛感情では決してない。つまり、「love」にはならないが、「like」はあるということである。

最近は、私はアセクシャルだからと公言して、認知を広めているが、まだ21年しか生きていないからなのか、「まだ好きな人と出会ってないからだよ」と言われることも多い。もしかしたら、そうなのかもしれない。けれど、自分はアセクシャルなのだと認めた方が、自分のセクシュアリティで悩まずに済み、気が楽なのだ。


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