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【感想】村上春樹「約束された場所で underground 2」

第一弾である「アンダーグラウンド」の果てしない長さ(800ページ弱)を前に怯んでしまい、先に第二弾の「約束された場所で」を読んだ。
どちらもオウム真理教事件に関するノンフィクションで、前者は直接的あるいは間接的な被害者、後者はオウム真理教元信者にインタビューしたものだ。
本当だったら何も情報を入れずに被害者のインタビューから読もうと思っていたのだけど、加害者側(ただしインタビューを受けた元信者の中には直接的に事件に関わった者は一人もいない)がなぜオウムに魅せられてしまったのかがどうしても気になり、こちらを先に読むことにした。
まず読んで思ったのは、時代が違ったら自分も入信してしまうんじゃないかということ。わたしはまさにオウム真理教事件が次々と起こっていた時期に生まれているので、物心ついた頃には、なんとなく新興宗教=怪しい、怖い、危ない、という印象を植え付けられていたし、今までにも入りそうになったことはない。あ、うそ、社会人になって変なオンラインサロンに入ろうかと迷ったことはある。とにかく、なにか救いだったり絶対的な「これを信じてさえいれば良い」というものを探し求めた結果宗教に惹きつけられてしまうことには、誰も無縁とは言えないのだと感じた。これはわたしじゃなく、この世に生きる、迷えるすべての人に対しても思うこと。
終盤に村上春樹と河合隼雄の対談が載っていて、そこで「普通の人は全部説明できるものが好き」と言われているのが、本当にその通りだと思う。
これは、宗教にハマらずにいられる「普通」とされる人だってそうなんじゃない?
つい白黒思考に走りがちなのも、グレーの状態が気持ち悪いからだ。
SNSで「本物の金持ちはブランドものを身につけない」だの「本当に幸せな人は自慢をしない」だのが当たり前のように言われているけど、つい「本物」だとかいう言葉を使いたがるのも、ひとつこれさえ信じてさえいればOKというものを作ってしまったほうが楽だからだ。思考し続けるというのはとても疲れることだから、脳の省エネのためにも向かうべきゴールを決めてしまった方が楽なのだ。そうして騙し騙し、いつ死ぬのかもわからない人生の暇つぶしをしている。
意味を追い求め始めてしまったら、もう人生は苦行だよね。意味は本当はない、それゆえ辛い。でも楽しいこと、幸せなこと、心が満たされることもそれぞれ実は持っている。人に簡単に言えないことでもいい。自分の心にそれを持っていることが大切だから。
本当はこうしていたらいいなんてアンサーはない。誰もそのアンサーを与えてはくれない。与えてくれる人がいたとしたら、それはインチキだと断言できる。ないからこそ、自分自身でどうするか覚悟を決めるしかないから。

この本に限らず読書をしていて、ひとつ思ったことがある。
わたしがなにかを面白いと感じるのは、大抵自分がそれまで信じていたものが肯定されたように感じたときだ。ああ、わたしがこれまで考えていたことは間違いじゃなかったんだ、って。これまで信じていたその時間が有効なものだったと誰かに認めてもらえた気がして、これまでそれを信じて行動していた自分が報われるような気がして、それを喜びに還元していた。しかしこれはとても危険な行為だと思った。わたしはある面では正しくても、また別の面から見たら間違っているはずだから。
価値観がぐらつく感覚を何度も味わいながら、その時々で自分なりのアンサーを模索し続けることが、これからもわたしを守ってくれると思う。
そう信じて、これからも何度も人の表現に殴られる経験を積み重ねていきたい。


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