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日蓮が末法に法華経を広めるべきと考えた理由

日蓮は鎌倉時代に法華経の教えを広めた人物として有名です。 しかし、日蓮が数ある経典の中でも法華経だけを特別視し、これを広めるべき教えとして選んだ理由については、意識される機会が少ないように思います。そこで今回は、日蓮が法華経を特別視した理由について、末法思想および当時の社会情勢という観点から考察したいと思います。 まず、よくある誤解として「日蓮は法華経以外の経典を誤りであると考えた」というものがあります。これは正確ではなく、「日蓮は法華経も法華経以外の経典もすべて正しい釈

    • なぜ日蓮は「虚空浄土」ではなく「霊山浄土」と言ったのか

      先日、鎌倉仏教を専門にご研究されている七円玉(https://twitter.com/taki_s555)さんとお話する機会があり、日蓮の大曼荼羅と本門戒壇に関する私の研究についてご助言を頂きました。お話する中で、「なぜ日蓮は『虚空浄土』ではなく『霊山浄土』という言葉を使ったのか」という疑問を七円玉さんが挙げておられましたので、これについての私の考え書いてみようと思います。 ■ 霊山浄土とは? 霊山浄土とは、日蓮が説いた一種の浄土思想にみられる概念で、日蓮は弟子に対して「

      • 「達磨(ダルマ)」と「鉛筆のF」の意外な関係

        「ダルマ」と言えば日本の伝統的な置物を想像する人も多いと思うが、これはインドから中国へ仏教を伝えた僧侶・達磨大師をモデルにした人形である。彼の名前の由来はサンスクリット語のdharma(ダルマ)で、これはもともと「保持するもの」「支持するもの」を意味し、そこから派生して「教法」「法則」「真理」「存在」なども意味するようになった。このdharmaの語源を辿ると、印欧祖語の*dʰer-(保持する)に行き着く。 一方、鉛筆の硬さの一つである「F」は英語のfirm(ファーム)のこと

        • 自動翻訳で漢訳経典を読む

          古典中国語、すなわち漢文を自動翻訳する本格的なアプリケーションは私の知る限りまだ開発されていない。しかし、自動翻訳の性能が日々向上している現在、現代中国語の翻訳アプリケーションであっても漢文の翻訳に使えるのではないかと思い、試してみることにした。 まず、漢文テキストを大蔵経テキストデータベースからコピー。今回は鳩摩羅什訳の法華経方便品の一部を使用。 爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。諸佛智慧甚深無量。其智慧門難解難入。一切聲聞辟支佛所不能知。所以者何。佛曾親近百千萬億無數

        日蓮が末法に法華経を広めるべきと考えた理由

          岩波文庫:仏教関連書籍(青300番台)一覧

          現在(2020年10月)までに発刊されている岩波文庫の仏教関連書籍(青300番台)一覧を作成してみました。『般若心経・金剛般若経(中村元・紀野一義 訳注)』のみ青303-1と青317の2つの通し番号が割り当てられていますが、理由は不明。欠けている書籍や誤記等に気づきましたら、ご教示頂けますと幸いです。

          岩波文庫:仏教関連書籍(青300番台)一覧

          超訳・中論 2. 四句分別(テトラレンマ)編

          「歩行行為が自性を有する」すなわち「歩行行為(walking)という属性が歩行者(walker)と関係なしに独立して存在する実体である」という見解が誤っていることを四句分別により帰謬論証する。 まず、このような見解を前提とする者の主張は次の4パターンに分類できる。 ① 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随する。(命題A) ② 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随しない。(命題¬A) ③ 歩行者(wa

          超訳・中論 2. 四句分別(テトラレンマ)編

          超訳・中論 1. 二句分別(ジレンマ)編

          「歩行行為が自性を有する」すなわち「歩行行為(walking)という属性が歩行者(walker)と関係なしに独立して存在する実体である」という見解が誤っていることを二句分別と帰謬論法によりに証明する。 このような見解を持つ者の主張は次の2パターンに分類できる。 ① 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随する。(命題A) ② 歩行者(walker)には歩行行為(walking)という属性が付随しない。(命題¬A) まず主張①が正しい

          超訳・中論 1. 二句分別(ジレンマ)編

          超訳・般若心経

          (あるとき、王舎城の霊鷲山にて) シャリホツ「ゴータマさん!悟りとは一体何なのですか?教えて下さい!」 カンノン菩薩「こらこら、シャリホツ君。ゴータマさんは今瞑想で忙しいのですよ。」 シャリホツ「えー!だって今すぐ知りたいんだもん!」 カンノン菩薩「仕方ないですね。それでは私が代わりに教えてあげましょう。」 シャリホツ「うーん、本当はゴータマさんに教えてもらいたかったんだけどなぁ。」 カンノン菩薩「何かいいましたか?」 シャリホツ「いや、何でも。」 カンノン菩

          超訳・般若心経